@hosinoojisan
「脱」でも「減」でも「縮」でもいい.
国民は、速やかな『原発撤退』を望んでいる。
民主党、自民党は、「経団連離れ」を!
アホ菅の退陣が明らかになるにつれ、民主党内部で、またぞろ、路線対立が表面化しつつあるが、その基調は、「国民」の立場をとるのか?あるいは、「経団連」の立場をとるのか?という立ち位置にあると言ってよいだろう。
経団連の立場から、「増税して」、「国際競争力」を維持するというのが、財務官僚等増税派であり、国民の立場から、「マニフェスト」を堅持する「マニフェスト派と言ってよいだろう。
国民にとっては、当然、政権交代のスローガンであった、マニフェスト派の勝利に期待したいと思うのは当然であろう。
残念ながら、朝日新聞や読売新聞等マスメディアが、「増税派」を応援していることから、多くの国民が惑わされているが、マスメディアの対応は問題だ。
このような立ち位置を明確にさせるうえで、「原発」撤退の立場を見れば、明らかとなろう。
「脱原発」あるいは、「減原発」または、「縮原発」と様々な主張がなされているが、経済界でも、バカな「経団連」を除いて、「原発推進」を主張できなくなっている。
もはや、「経団連」の法外な権益擁護は、不可能となっていると言えよう。
以下に関連する記事があったので、2本記録しておきたい。
経済界の身勝手な主張に対して、国民の反撃が求められていると言えよう。
☆☆☆☆☆☆
本日の、ISS(国際宇宙ステーション)20時47分頃の通過、極めてきれいに光っていた。日没直後の為か、1等星並みに輝き、素晴らしかった。
ベランダからも観望できるので、今後も挑戦してみよう。
・・・・・本日は、これまで・・・・・
「脱」でも「減」でも「縮」でもいい.
国民は、速やかな『原発撤退』を望んでいる。
民主党、自民党は、「経団連離れ」を!
アホ菅の退陣が明らかになるにつれ、民主党内部で、またぞろ、路線対立が表面化しつつあるが、その基調は、「国民」の立場をとるのか?あるいは、「経団連」の立場をとるのか?という立ち位置にあると言ってよいだろう。
経団連の立場から、「増税して」、「国際競争力」を維持するというのが、財務官僚等増税派であり、国民の立場から、「マニフェスト」を堅持する「マニフェスト派と言ってよいだろう。
国民にとっては、当然、政権交代のスローガンであった、マニフェスト派の勝利に期待したいと思うのは当然であろう。
残念ながら、朝日新聞や読売新聞等マスメディアが、「増税派」を応援していることから、多くの国民が惑わされているが、マスメディアの対応は問題だ。
このような立ち位置を明確にさせるうえで、「原発」撤退の立場を見れば、明らかとなろう。
「脱原発」あるいは、「減原発」または、「縮原発」と様々な主張がなされているが、経済界でも、バカな「経団連」を除いて、「原発推進」を主張できなくなっている。
もはや、「経団連」の法外な権益擁護は、不可能となっていると言えよう。
以下に関連する記事があったので、2本記録しておきたい。
経済界は「被害者」なのか 成長至上主義を捨て、原発離れを
週刊エコノミスト 8月8日(月)18時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110808-00000001-economist-pol
◇山田孝男(やまだ・たかお=毎日新聞政治部専門編集委員)
どうにも飲み込めない。米倉昌弘・日本経団連会長(74)の一連の発言だ。原発震災という歴史的大事件に直面しながら、本質を見据えた発信がない。「脱原発」志向の世論を低く見て「経済成長をどうしてくれる」としか言わない。
立場上、そんなものだと言われても承服しかねる。昭和の経団連には石坂泰三や土光敏夫がいた。日経連には桜田武や鈴木永二がいた。彼らなら、国家危急存亡の大事に臨み、迷惑顔で企業連合の利益代弁者に終始し、財界リーダーの威信を砕くことはなかっただろう。
◇西川善文氏が言う「脱原発しかない」
米倉は首相批判を繰り返している。批判して悪いとは言わないが、経済界が、政府がしでかした迷惑行為の被害者であるかのように言いつのる感覚がわからない。原発震災とそれに続く政治・経済・社会の大混乱のなかで、日本経団連傘下の企業は被害者なのか。
朝日新聞を引く。「政府を論難する前に財界トップがまず述べるべきは、東電という有力会員が起こした重大事故への反省と被害者へのおわびではないのか。それが経済道義というものだ」(7月21日付朝刊「社説余滴」=駒野剛記者)。どう見てもこの断定に分がある。
もっとも、米倉だけの問題とは言えない。報道によれば、7月、軽井沢で開かれた日本経団連の夏期フォーラムで、日立製作所会長は「菅首相が何を言おうと、原子力の海外展開を進めたい」と語ったという(日本経済新聞7月23日付朝刊)。
東芝の社長が、日米共同でモンゴルに核燃料最終処分場を建設する計画に入れ込み、米政府高官に協力を求めていたという報道(東京新聞7月2日付朝刊)もあった。
これらの逸話から、第2次大戦末期の、日本政府部内の終戦派と決戦派の確執を連想した。鈴木貫太郎首相は終戦を探ったものの、決戦派はクーデターを構えて抵抗。政府の意思決定は遅れに遅れた。そうこうするうちに広島・長崎に原爆が落ちる。それでも決まらず、天皇に聖断を仰ぎ、ようやく幕が下りた。
原発依存の経済成長は、もはや無理筋である。「途上国に押しつけるのはよかろう」と高をくくれば非道である。内外ともに天変地異が多発している。海も、山も、大地も、川も荒れ狂う時代だ。稼働中か停止中かを問わず、核燃料(使用済みを含む)を蓄えた全国の原発は、周辺住民だけでなく全国民の差し迫った脅威である。66年前と同様、再び惨禍に見舞われなければ原発震災の本質に目を開けないのか。
希望が見えぬなかで、「脱原発しかない」と言い切る財界人がいると知り、会ってみた。三井住友銀行の西川善文元頭取(72、現・同行名誉顧問、前日本郵政社長)だ。
名だたる辣腕バンカーであり、先年まで金融業界の頂点にいた。しかも、三井住友銀行は東京電力のメーンバンクである。その西川が、日経新聞電子版(5月26日付)のブログに「脱原発へ向かうしかない」と書いて波紋が広がった。
西川はこう書いた。
「私は一定の時間軸をおいて対策に取り組めば、脱原発は十分可能だと思う。国民生活の安心、安全が第一義であるから、(中略)脱原発に向けてエネルギー政策の舵を大きく切っていくしかない」
7月下旬、丸の内の三井住友銀行本店に西川を訪ねた。
「毎週書かなきゃいけないんで、けっこう大変なんですよ。(木曜掲載なので)日曜くらいになると、何を書こうかな、ってね」
開口一番、西川は苦笑を交え、ブログ執筆の苦心を語った。原発震災が話題の時期だったので感想を書いたら、非常にラジカルな発信と受け取られて当惑している--。そういう心境を明かした。
とはいえ、ブログに書いた考えは変わらない、40年先の脱原発では遅過ぎる、せいぜい15年から20年ではないか、電力は使い過ぎている面があり、無駄な電力消費を減らした方が国はよくなると思う……。西川は質問に率直に答えた。「15年から20年」の評価はともかく、脱原発の問題意識は明確であり、暗夜に光を見る思いがした。
日本は電力供給の3割を原子力に依存している。これを2030年までに5割へ引き上げるというのが、政府の長期計画(エネルギー基本計画=昨年9月閣議決定)のポイントだ。政府はむろん、抜本的な見直しにとりかかっている。
◇安全な社会 健全な経済へ
一方、現在あるすべての原子炉を耐用年数の40年で廃炉にし、新たな原子炉はつくらないとすれば、日本の原発は2050年前後にはゼロになる。40年後の脱原発というイメージはここからくるが、急迫の危険に対して消極的過ぎる。
それやこれやで、いま、大政党は基礎的な議論を続けている。原発離れの具体的なスケジュールを決めるのに時間がかかりそうだ。それに対して、共産党と社民党は既に目標年次を打ち出している。共産党が「5年から10年以内の撤退」で、社民党は「2020年(9年後)末までに原発ゼロ」である。
共、社両党は、もともと反原発だ。だから目標もあっさり決まったかというと、そういうものではないらしい。共産党の志位和夫委員長(57)に聞いてみると、6月に提言(「原発からのすみやかな撤退、自然エネルギーの本格的導入を」)をまとめるにあたり、党内で激論がかわされたという。「段階的」な撤退か、「すみやかな」撤退か--。キーワードは「すみやかな」に決まった。
社民党の「2020年」という目標は、5月に発表した「脱原発アクションプログラム」に盛り込まれている。プログラムは、今夏も、来夏も電力不足は乗り切れるという見通しと論証に力を注いだ。福島みずほ党首(55)によれば、目標年はすんなり決まった。ドイツの、みどりの党と同じ期限である。
政府は、具体的な目標は示せないまでも、首相が「脱原発」を宣言した。すると、国家戦略担当相が「減原発」だと修正し、自民党は「縮原発」だと言っている。
「脱」でも「減」でも「縮」でもいい。求むべくもない経済成長を追い求め、原発離れをサボるのでなければ。できる限り早く原発から離れ、安全な社会・健全な経済へ立て直さなければならない。(敬称略)
【社説】
電力会社 節電努力に応え情報を
2011年8月13日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011081302000048.html
逼迫(ひっぱく)する電力需給がお盆休み前のピークを乗り越えた。東京電力には東北電力に融通する余裕さえある。国民の節電努力にすがる一方で、情報公開に二の足を踏む電力業界の不誠実が際立つ。
「最大使用電力が五千万キロワットを超える日は少ないと見ている」
東京電力福島第一原発の事故から三カ月。実はその段階で、東電内部では夏場の電力不足は十分に乗り切れると楽観的な見通しを立てていた。
それは東北電への二百万キロワットの電力融通でも、はっきり裏づけられた。東日本大震災で女川原発などが稼働停止に追い込まれた東北電は、新潟、福島県で豪雨にも見舞われ、二十九の水力発電所が損傷し綱渡りの供給が続いている。
被災した東北三県への送電が途絶えぬよう融通し合うのは当然であり、西日本でも四国電力が関西電力に手を差し伸べている。しかし、東電は計画停電まで実施し、盛んに電力不足のキャンペーンを繰り広げてきた。それなのに電力は余っているではないか。多くの人々はそんな疑念を抱くだろう。
東電の現在の最大供給能力は約五千五百万キロワット。六千万キロワット以上の能力を備えていた昨夏を下回っているのに、なぜ余力があるのか。工場や商店、家庭などの愚直とさえいえる節電努力によるものだ。
東電管内の電力需要は大震災を境に、前年に比べ一千万キロワット近くも減った。中国電力一社分、原発七~八基に相当するとてつもない規模の節電効果であり、それが東北電の窮状も救っている。
にもかかわらず情報公開には消極的で、東北電が水力発電所の事故を公表したのは一週間後。東電も電力不足は乗り切れると判断しながら、原発事故でも見られた隠蔽(いんぺい)体質をなお引きずっている。
昨夏、東電が六千万キロワットのピークを記録した際、原発の割合は20%未満にとどまった。広く公表していない統計を表に出せば、太陽光などの自然エネルギーでも原発を肩代わりできると受け取られ、脱原発の世論を勢いづける。そんな計算が働いているのだろう。
既に政府はポスト福島のエネルギー政策の見直しに入った。原油や天然ガス、原子力の発電コスト、どこまで自然エネルギーを増やせるかなどのデータは、国民にとっても将来の日本のエネルギーを考えるうえで欠かせない情報だ。
節電で不自由を強いながら情報公開に腰を引いていては、電力業界の信頼はさらに低下する。
経済界の身勝手な主張に対して、国民の反撃が求められていると言えよう。
☆☆☆☆☆☆
本日の、ISS(国際宇宙ステーション)20時47分頃の通過、極めてきれいに光っていた。日没直後の為か、1等星並みに輝き、素晴らしかった。
ベランダからも観望できるので、今後も挑戦してみよう。
・・・・・本日は、これまで・・・・・
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