2011年9月18日日曜日

「陸上部」の山菜・キノコ・マッタケ、ヤマメ等は汚染! 米や野菜は、「検出されず」???当然汚染されているのでは? 不思議に思いませんか? 産業界に目を向けるのでなく、日本民族の命と健康を守るという視点に立て! 自衛隊のスーダン派遣は危険!・・・・中止を!

木村建一@hosinoojisan



「陸上部」の山菜・キノコ・マッタケ、ヤマメ等は汚染

米や野菜は、「検出されず」???当然汚染されているのでは?

不思議に思いませんか?



産業界に目を向けるのでなく、日本民族の命と健康を守るという視点に立て!



自衛隊のスーダン派遣は危険!・・・・中止を!



 福島県は、「米」等が、放射能汚染がなく「安全」と発表して、コメの流通を宣言したが、これは問題があろう。

 これまで気になるのだが、原発再開にしろ、農水産物にしろ、問題があるにも拘らず、「産業界の意見」を中心にした、「原発再開」あるいは、「農水産物の流通解禁」等の、政府対応である。

 これでは、「日本民族」の存続という点で問題があろう。

 何故ならば、放射能汚染物質の取り込みによって、必ず、遺伝子に障害が発生するからである。

 近視眼的に、「産業の利益」を認めて、農水産物の流通を認めれば、人の「生命・健康」に問題を生じさせ、取り返しのつかないことに繋がるからである

 現時点では、日本民族の発展に問題を残す産業界の要求に、日本民族の発展という観点から、国際基準の規制値で、農水産物の流通を阻止すべきであろう。

 この点では、下記の元内閣官房参与/多摩大学大学院教授の田坂広志の意見を真剣に検討すべきであろう。

 又、本日気になった問題として、自衛隊のスーダン派遣問題がある。

 石油利権をめぐって、ドロドロとした内線中のスーダンであり、治安上問題があるからである。

 国連の要請と言われているが、真実は、アメリカの強い要求で、アメリカのエネルギー戦略擁護のためであるのが確実であるからである。

 PKOとはいえ、何か問題が発生する予感がする。



☆☆☆

国民の信頼を失った日本の原子力行政野田新政権が答えるべき「7つの疑問」――田坂広志・元内閣官房参与/多摩大学大学院教授インタビュー

『週刊ダイヤモンド』特別レポート
【第138回】 2011年9月16日 週刊ダイヤモンド編集部
http://diamond.jp/articles/-/14075


菅政権の内閣官房参与として、原発事故への対策と原子力行政の改革、原子力政策の転換に取り組んだ多摩大学大学院教授、田坂広志氏に、5ヵ月に及んだ参与としての働きと、野田新政権への期待と課題を訊いた。
(「週刊ダイヤモンド」副編集長 深澤 献)
参与としての仕事、ご苦労さまでした。特に、原発事故が最も予断を許さない状況にあるとき、その対策に取り組まれた立場でしたので、実に大変なご苦労をされたかと思いますが、そもそも、田坂さんは、どのような経緯で内閣官房参与になられたのですか。
 そうですね。福島第一の原発事故は、冷温停止に向かっている現在は、比較的冷静・客観的に語れますが、当初は、全く予断を許さない、極めて緊迫した状況でした。特に事故の直後は、いくつもの対策プロジェクトの立ち上げに取り組み、その運営に追われました。早朝から深夜まで、土日も返上して対策に取り組む日々でした。
 しかし、被災地の方々のご苦労を思えば、我々が「大変だ」などと言える状況ではありませんでした。あの時期、そうした気持ちは、災害対策と事故対策に取り組んだ方々の、誰の心の中にもあったのではないでしょうか。
 私は、これまで60冊余りの本を書いてきましたが、実は、それらの本の中でも、あまり語ってこなかった私の経歴があります。それが、「原子力の専門家」という経歴です。実は、私は、1974年に東京大学の原子力工学科を卒業し、81年に「核燃料サイクルの環境安全研究」で工学博士を取得しました。その後、民間企業で原子力事業に携わり、青森県六ケ所村の原子力施設の安全審査にも関わりました。また、米国の国立研究所で、高レベル放射性廃棄物の最終処分に関する国家プロジェクトに参画したこともあります。
 従って、私のかつての専門分野は、原子力施設の事故評価や放射性物質の環境影響評価などであり、まさに福島第一原発事故の直面している深刻な問題そのものだったのですね。そうした私のバックグラウンドを知って、3月29日、菅総理から福島原発事故対策へのアドバイザーとして、内閣官房参与への就任を依頼されたのです。
──なるほど。田坂さんは、かつて原子力を推進する立場で研究をされてきたのですね。その時代には、特に「放射性廃棄物の最終処分」の問題に取り組んできたと伺っていますが。
 私が原子力の研究に取り組んだ70年代の初頭は、まだスリーマイル島の事故も、チェルノブイリの事故もなく、原子力は「夢のエネルギー源」と信じられていました。ただ、その時代においても、原子力の「アキレス腱」になると考えられていたのが「放射性廃棄物」の問題でした。すなわち、原子炉でウラン燃料を燃やすと、必ず大量の「放射性廃棄物」が発生します。この中でも特に厄介なのが、極めて高い放射能を持つ「高レベル放射性廃棄物」です。
 例えば、原子炉から取り出した「使用済み燃料」は、極めて高い放射能を帯びており、それ自身、この高レベル放射性廃棄物に属しますが、この使用済み燃料を再処理工場で再処理して、ウランやプルトニウムなどの核燃料を取り出しても、後に残るのは、やはりこの高レベル放射性廃棄物です。
 従って、こうした放射性廃棄物を、どのようにして安全に最終処分するかということが、原子力発電を続けていくための、避けて通れない課題であり、現在も世界中の原子力先進国で研究されている重要な課題なのです。興味のある方は、最近封切りになった映画『10万年の安全』をご覧になると良いですね。この映画のタイトルの意味は、高レベル放射性廃棄物を最終処分するためには、人間の生活圏や生態系から「10万年」の長期にわたって隔離しなければならない、という意味からきているのです。
 そして、原子力を批判する人々は、かねてから、この放射性廃棄物の問題を指摘し、「原子力とは、トイレなきマンションだ」と批判し続けてきたのですね。たしかに、仮に、原子力発電所や再処理工場、高速増殖炉というハイテクの施設を設計、建設し、安全に操業できたとしても、結局、この放射性廃棄物の「安全な最終処分」の方法を確立しないかぎり、核燃料サイクルや原子力発電は、「未完結・不完全な技術体系」になってしまうのですね。
 しばしば、極めて高度なハイテク・システムが、素朴なローテクの問題によって動かなくなるということが起こりますが、実は、原子力というハイテクノロジーも、「放射性廃棄物の最終処分ができない」、易しい言葉で言えば、「ごみ捨て場がない」という理由で、大きな壁に突き当たってしまうのですね。
 かつて私が、一人の原子力の研究者として、この問題を専門研究のテーマとしたのは、それが理由です。
──では、田坂さんは、なぜ、その原子力の分野を離れたのですか。やはり、原子力という技術体系に疑問を持ったからなのですか。
 いや、そうではありません。原子力の分野を離れたのは、1990年に日本総合研究所の設立に関わることになり、原子力とは別の仕事、シンクタンクというやりがいのある仕事に出会ったためです。決して、原子力という技術体系に大きな疑問を持ったからではありません。
 確かに当時も、放射性廃棄物の最終処分の問題には、まだ解決策を見出していませんでしたが、優秀な後輩の研究者や技術者たちが、必ず良い解決策を見出してくれるだろうと考えていました。言わば、後輩たちに「後を託して」この分野から離れたわけです。スリーマイル島事故やチェルノブイリ事故はありましたが、技術大国と呼ばれ、品質管理に優れた日本ならば、世界で最も安全な原子力発電システムを実現できると期待していたのです。
 しかし、3月11日の福島第一原発事故が起こったことによって、その期待は裏切られました。そして、この事故対策に取り組む中で、従来の「原子力安全」に対する考えを、根本から改めなければならないと考え始めたのです
──従来の「原子力安全」に対する考えを根本から改めなければならない、と言われましたが、それは、どのような意味でしょうか。
 実は、原子力の分野の「安全」に対する思想は、従来、二つの言葉に象徴されていました。
 一つが、「Fail Safe」。すなわち、いかなる「人為的な失敗」(Fail)があっても、「安全」(Safe)が確保されるという思想です。
 もう一つが「Safety in Depth」(多重防護)。すなわち、もし一つの安全措置が破られても、他に幾つもの安全措置を多重に施してあるので大丈夫、という思想です。これらは、言い換えれば、仮に「人為的なミス」があって一つの安全措置が破られても、「技術的なシステム」の多重性で絶対に安全を確保するという思想です。
 この思想は、「安全技術」に携わる技術者の持つべき思想としては、全く正しい思想と思います。私自身、一人の技術者として、この思想に基づいて安全設計や安全評価に取り組んできました。すなわち、原子力という技術体系は、基本的に、この「安全思想」に基づいて設計され、構築されるかぎり、極めて高度な安全性を実現できると考えてきたのです。
 しかし、実は、原子力の分野を離れるとき、一つ「気がかり」なことがありました。それは、私の専門分野の研究において、過去の世界の原子力施設の事故の先例を調べていくと、実は、その多くが、「技術的要因」によって起こっているのではなく、「人的要因」「組織的要因」「制度的要因」「文化的要因」によって起こっているのです。それが、私にとっての「気がかり」でした。
 そして、その悪い予感が思わぬ形で現実となったのが、1999年に起こったJCOの事故でした。(注:住友金属鉱山子会社の核燃料加工施設「JCO」が起こした臨界事故)。いま思えば不明を恥じるのですが、あの事故のニュースが飛び込んだとき、「臨界事故」と聞いて、私は即座に周囲の仲間に「これは絶対に誤報だ」「この工場で臨界事故が起こるはずがない」と述べたのを覚えています。なぜなら、私自身、昔、同じタイプの工場で働いていたことがあり、こうした工場は、設計上、通常の操作を行っている限り、人為的なミスがあっても、絶対に臨界事故が起こらないように技術的に設計されているからです。
 ところが、ご承知のように、あの事故が起こった原因は、ウラン溶液をタンクに移す際、通常のパイプを使った送液を行わず、作業員がタンクの蓋を開け、バケツを使ってウラン溶液を注ぎ込むということを行ったからでした。
 これは、工場の設計者からすれば、想像もしていなかった操作だったわけです。すなわち、JCOの事故の原因は、設計ミスや機器の故障などの「技術的要因」ではなく、「人的・組織的・制度的・文化的要因」だったわけです。
 そもそも、作業員への安全教育はどうなっていたのか。少しでも臨界安全についての教育を行っていれば、この事故は起こらなかった。また、マニュアルがもっと整備されていれば起こらなかった。さらに、現場の管理はどうなっていたのか。そして、作業員がこうした非常識な方法で作業を急いだ背景に、労働条件の問題が無かったのか。職場の安全文化はどうなっていたのか。そうした様々な人的、組織的、制度的、文化的な要因が複合して、この事故は起こってしまったわけです。
 そして、その視点から見るならば、福島原発事故も、単なる「技術的要因」による事故ではなく、「人的・組織的・制度的・文化的要因」による事故であることが、今後、明らかになってくるでしょう
 例えば、貞観地震の記録に基づいて津波の高さに関する指摘があったにもかかわらず、なぜ、適切な対策を講じなかったのか。電源喪失事故についても、懸念する声があったにもかかわらず、なぜ、十分な多重・多様電源を準備しなかったのか。こうした疑問の背景には、「経済的合理性への配慮がゆえに、安全性に対する要求が甘くなったのではないか」という疑念、すなわち、安全基準の設定や安全審査の体制そのものに対する国民の疑念があります。
 そして、こうした疑念に対して、政府が国民の納得する明確な答えをすることが難しいのは、原子力を規制するべき原子力安全・保安院が、それを推進する経済産業省と同じ組織の中にあるという問題を抱えているからです。「李下の冠」という言葉がありますが、かねてから問題とされてきたこの組織的問題を解決しないかぎり、3月11日以降、国民は、政府の安全規制を信じることができなくなっているのです。
──それが、玄海原発の再稼働に対して官邸が慎重な姿勢を示した理由ですか。しかし、産業界は、再稼働ができないことによって、電源需給が逼迫し、我が国の経済が大打撃を受け、産業の空洞化や国際競争力の低下が起こると、強い懸念を示していますが。
 私も経済と経営を語ってきた人間ですので、日本経済を支えている産業界の方々が、こうした懸念を持たれる気持ちは、よく理解できます。
 しかし、電力危機の問題を論じ、再稼働の必要性を語る前に、産業界の方々に一つ理解して頂きたいことがあります。それは、3月11日の大事故を経験したいま、我々が直面している原発の問題は、経済と産業の問題である以上に、国民の生命と安全の問題だということです。原発の安全性を十分に確認する前に、経済的理由から、その再稼働を急ぐという発想は、やはり本末転倒と言わざるを得ないのですね
 ところが、こう述べると、産業界の方々は「玄海原発については、保安院による安全確認も行われ、町長と知事を含めて、地元は再稼働の受け入れを表明しているではないか」と言われるわけです。しかし、実はここに問題の本質があります。
 それは、「信頼」という問題です。
 すなわち、その安全確認をした原子力安全・保安院が、そもそも、国民から信頼されているのか、という問題です。3月11日の福島第一原発事故まで、保安院を始め、経産省も、電力会社も、「原発は絶対に安全です」と言ってきたわけです。そして、地元も国民も、その言葉を信頼して原発の建設と稼働を受け入れてきたわけです。
 しかし、3月11日に、あの極めて深刻な原発事故を起こしてしまった。そのことによって、我々は国民の信頼を決定的に裏切ってしまったのですね。福島原発事故によって、「絶対安全の神話」が崩れ、これまでの原子力行政と電力事業者が、国民の信頼を決定的に失ってしまったわけです。従って、3月11日以降に、原子力行政と電力事業者が何を行うにしても、まず、「失われた信頼を、いかにして回復するか」という認識から始めるべきなのです。
 原子力の問題を論じるとき、しばしば「安全と安心こそが大切だ」と語られます。しかし、実は「安全」や「安心」よりも大切なものがあります。
 それが「信頼」です。
 なぜなら、どれほど「安全です」と言い、「安心してください」と言っても、そう語る政府や事業者に対する国民の信頼が無ければ、全く意味がないからです。
 従って、玄海原発の再稼働の問題の本質は、「国民からの信頼」という問題なのです。すなわち、従来の原子力行政と原子力規制があの最悪の事故を引き起こしてしまったという事実を直視するならば、「従来の規制組織」が、「従来の安全確認の方法」によって、「安全です」と宣言をしただけで、果たして国民が信頼し、納得するのか、という問題なのです。
──なるほど。それが、玄海原発の再稼働に対して、原子力安全委員会を関与させ、ストレステストを導入し、原子力安全庁を設立するという判断になったわけですね。
 そうですね。先ほど述べたように、福島原発事故が起こる以前から、推進側の経産省と規制側の保安院が一つの組織にあるということは適切ではないと言われてきたわけです。それは、米国NRC(Nuclear Regulatory Commission:原子力規制委員会)の厳格な独立性と比べるならば、規制の客観性と独立性が疑われるような組織形態であり、海外からも、その組織形態の問題は、永く指摘されてきたわけです。
 それにもかかわらず、あの福島原発事故が起こった後も、この組織の不適切な状態を改めることなく、「従来の保安院」が、「従来のルール」によって安全確認を行い、安全宣言をし、再稼働を認めた。これでは国民は、信頼もできなければ、納得もできないでしょう
 本来、政府として、独立した新たな規制組織を作り、より厳しい安全基準を確立したうえで、再稼働を検討するべきことです。しかし、それでは、やはり時間がかかりすぎるので、まずは、来春までに原子力安全庁を設立するという方針を明確に打ち出し、当面、世界的にも認められているストレステストなどの安全確認の手法を導入し、保安院だけでなく、原子力安全委員会が関与するという形で、再稼働に向けての安全確認を行い、そのことを通じて、国民の信頼と納得る努力をしたわけです。
──そういう形で、原子力行政に対する国民からの信頼を回復する努力をしている最中に、例の九州電力の「やらせメール問題」が起こったわけですね。
 そうです。あの玄海原発再稼働に向けての保安院の安全宣言の後に、この「やらせメール問題」が発覚したわけです。そして、その結果、これまで「地元住民も受け入れに賛成している」ということを言ってきた経産省と保安院、電力会社は、さらに国民の信頼を失ったわけです。おそらく、もしあのまま玄海原発を再稼働していても、このメール問題によって、再度、原発の停止を余儀なくされたのではないでしょうか。
 そして、そもそも「地元が再稼働を受け入れた」と言う議論そのものが、今後、適否を問われるのです。なぜなら、福島原発事故は、地元の町と福島県だけに被害を与えたのではなく、東日本を中心とする極めて広い地域に対して甚大な被害をもたらしたからです
 そのことを考えるならば、今後、一つの原発を稼働させるとき、従来のように、「地元の町」や「地元の道府県」が受け入れをすれば、それでよいのか、という問題さえ、我々に問われているのですね。
 すなわち、玄海原発再稼働問題の本質は、総理が「はしごを外した」といった点にあるのではなく、「この進め方で国民の信頼と納得が得られるのか」という一点にあるわけです。その意味では、政府と電力会社は、拙速に再稼働を急ぐのではなく、まず、国民の信頼を回復するために最大限の努力をするべきでしょう。そのためには、この福島原発事故を痛苦な教訓として、過去の原子力行政と電力事業の在り方を徹底的に反省し、見直し、改革することから始めるべきです。そして、その努力を尽くした後、謙虚に国民の前に頭(こうべ)を垂れて信を問う姿勢がなければならない。それが無ければ、国民からの信頼は決して取り戻せないでしょう。
──原発再稼働問題について、原子力行政に対する信頼回復が重要であるとの指摘はわかりましたが、一方、福島第一原発事故は、まだ収束をみていません。この原発事故の現状と今後を、どう見られていますか。
 まずは、現在の工程表に従って、原子炉を冷温停止にまで持っていくことが当面の最重要課題ですが、実は、それで問題が解決するわけではありません。その後に、さらに大きく深刻な問題が、いくつも待ち受けています。その中から、特に気になるものを、三つ挙げておきましょう。 
 第一は、放射性廃棄物の最終処分の問題です
 現在、原子炉の冷却に伴って発生している膨大な放射性廃液と、その廃液を処理する過程で出てくる、フィルターなどの大量の高線量廃棄物があります。さらに、これ以外にも、サイト内では、放射能で汚染した大量のがれきがあり、サイト外では、汚染土壌を除染した際に発生する膨大な廃棄物もあります。
 これらの放射性廃棄物を、最終的にどこに持って行って処分するのか。福島県民の感情を考えるならば、心情的には、「福島県外で処分する」という方針を語らざるを得ませんが、では、他の県のどこが引き受けてくれるのか。原子力の分野では、昔からNIMBY(Not In My Backyard)という言葉が語られますが、誰にとっても、こうした厄介な放射性廃棄物を近くに処分されることは避けたいのです。当面は、「中間貯蔵」(Interim Storage)という考え方で、福島県内に保管したとしても、早晩、どこに「最終処分」(Final Disposal)するのか、という問題に直面するわけです。
 第二は、廃炉の問題です。
 これほどの事故を起こした原子炉を廃炉にすることは、歴史上、全く前例の無い取り組みです。通常の原子炉であれば、過去に廃炉にした例はありますので、技術的にも可能ですが、それでも数十年規模の時間と膨大な手間と費用がかかります。
 しかし、福島原発の場合は、核燃料がメルトダウンを超えて、メルトスルーを起こしているわけです。通常の健全な核燃料であれば、上から一本一本、遠隔操作で引き揚げていけばよいのですが、福島原発の場合は、その核燃料が溶けて崩れ落ち、格納容器の下部と融合している可能性があるわけです。
 しかも、その放射能は、人間が近づいたら数時間で死亡するほどの高いレベルです。それは、私のような放射性廃棄物の専門家からみても、目を覆いたくなる状況であり、この状況の原子炉を安全に解体し、廃棄物を撤去することは、現在の技術では極めて難しく、廃炉が実現できるとしても、その計画立案と技術開発を進めるだけで、そもそも数十年はかかるでしょう。
 そして、その数十年の間は、極めて高い放射能を持ち、形を留めずに溶融した核燃料という、まさに高レベル放射性廃棄物が、福島第一原発サイト内に存在し続けるわけです。さらに、将来、廃炉が実現できたときには、取り出した膨大な高レベル放射性廃棄物の「中間貯蔵」と「最終処分」の問題が待ち受けています。
 第三は、環境中に広がった放射能の人体への長期的影響の問題です。
 そもそも、人体が長期にわたり低レベルの放射能で内部被曝や外部被曝したとき、将来、どのような影響があるかについては、未だ明確な医学的知見は定まっていません。チェルノブイリ事故の後の長期的な調査においても、「明確な影響は認められなかった」という研究者と、「数百万人が被曝による健康への明確な影響を受けた」という研究者がいるわけです。
 しかし、原子力における安全思想は、「常に最悪の事態を想定して対策を打つ」ということが求められるため、仮に、長期的な影響についての医学的知見が明確でないとしても、政府は、「最悪の事態」を想定し、「最も厳しい仮定」を置いて、対策を講じなければならないのです
 そして、政府は、医学的影響だけではなく、心理的影響も考慮しなければならないのですね。なぜなら、医学的知見が明確でないかぎり、多くの人々は、その環境で生活することに「安心」できないからです。「何十年後に発癌や白血病、リンパ腫などの健康被害が生じるかもしれない」といった医学的仮説が出回れば、それは極めて深刻な社会心理的問題を引き起こすことを、決して無視するわけにはいかないのです。さらに、そうした社会心理的問題は、その対策をするために、極めて高い社会的費用を発生させ、その費用のすべてが「国民負担のコスト」になるのです。
 このように、福島原発事故の問題は、原発の冷温停止は、単なる入り口に過ぎず、その後には数々の難題が待ち受けているのです。そのことを考えるならば、野田新政権は、福島原発事故対策について、数十年先まで見据えた長期のビジョンと総合的戦略を持って臨まなければならないのですね。
──その福島原発事故対策の問題は、必然的に、今後の原子力政策の問題につながり、さらには、長期的なエネルギー政策の問題に結びついていくわけですね。では、この時期に、自然エネルギーに関する政策を提言されたのは、どのような考えからですか。
 実は、自然エネルギーの政策は、もはや、原子力エネルギーを選ぶか、自然エネルギーを選ぶか、という選択の問題ではないのですね。なぜなら、福島原発事故の結果、我が国は、遅くとも2050年には、原発ゼロの社会になってしまうからです。
 7月13日の記者会見で、菅総理(当時)は「原発に依存しない社会を目指す」と表明しましたが、実は、早晩「原発に依存できない社会が到来する」のです。なぜなら、日本では、今後、原発の新増設ができなくなるからです。そして、原発の寿命を40年とすると、現在稼働中の原発が次々と寿命を迎え、遅くとも2050年には、すべての原発がなくなるからです。
 もちろん、新増設が可能になれば、このシナリオは崩れますが、実際、日本よりも広大な米国で、福島事故よりも数段軽微なものであったスリーマイル島事故でさえ、その後30年間、全米で原発の新設が止まったわけです。そのことを考えるならば、これほど深刻な放射能汚染の被害を生じた日本においては、やはり30年以上、新増設はできないでしょう。
 もし、その現実を直視するならば、政府がやるべきことは、早晩到来する「原発に依存できない社会」に向けて、代替エネルギーを育てることです。しかし、地球温暖化問題を考えるならば、長期的に化石エネルギーを代替エネルギーにすることは避けるべきでしょう。そうであるならば、政府が取り組むべき施策は明確です。短期的には化石エネルギーの活用と省エネルギーの促進によって、当面の電力危機を回避しつつ、長期的には、やはり自然エネルギーの普及に積極的に取り組んでいかなければならないのですね。
──つまり、「原発に依存しない社会を目指す」というビジョンは、「直ちにすべての原発を止める」ということではないのですね。
 そうですね。そこがマスメディアでも誤解されて報道されている部分かと思いますが、「直ちにすべての原発を止める」ということも非現実的であり、「すぐに自然エネルギーで代替できる」と考えることも非現実的と思います。
 私が、内閣官房参与として総理に進言したのは、次のことです。
「いま、多くの国民は、二つのことを願っています。一つは、やはり原発は怖い。使わないで済むものなら、使いたくない。もう一つは、しかし、直ちに原発を止めたとき、産業や経済に深刻な影響が生じたり、生活に甚だしい支障が生じるのであれば、それは避けたい。政府は、この国民の声に耳を傾けるべきです」
 すなわち、7月13日に菅総理が表明した「脱原発依存」のビジョンとは、あくまでも「計画的、段階的に原発への依存を減らしていく」という極めて現実的なビジョンなのですね。それは、単なる「思いつき」ではありません。国家戦略室のメンバーを中心に、再稼働が遅れたときの電源需給に関する具体的な検討も踏まえて表明されたものだったのです。この点も、マスメディアの報道には、誤解があるかと思います。
──では最後に、原子力・エネルギー政策に関して、新たに発足した野田政権への期待と取り組むべき課題について、考えをお聞かせください。
 このインタビューの中で、できるだけ分かり易く、3月11日の福島第一原発事故が、我々に、どのような問題を突き付けているかを語りました。
 それを、敢えて一つの言葉にするならば、我々は、「パンドラの箱」を開けてしまったのですね。
 それは、原子力というエネルギーに対する、幾つもの疑問です。
 これまで、あまり明確に議論することなく、密やかに箱に封じておいた諸問題。その「パンドラの箱」が、この事故を機に、開いてしまったのです。そして、閉じ込めていた幾つもの疑問が、表に飛び出してきた
 その結果、いま、多くのメディアと国民が、その答えを求め、声を挙げ始めています。それは、「原子力・7つの疑問」と呼ぶべきものです。
 新たに発足した野田政権は、これから、国民が抱くこの「7つの疑問」に、真摯に答えていかなければならないのですね。
 従って、最後にこの「国民の7つの疑問」について、それぞれ一言ずつ述べておきましょう。
 第一は、「原子力発電所の安全性」への疑問です。
 しかし、ここで言う「安全性」とは、単なる「技術的安全性」の問題だけではありません。既に述べたように、実は「人的・組織的・制度的・文化的安全性」こそが、これから厳しく問われるようになります。例えば、安全審査において、経済性への配慮で安全性が軽視されていないか、といった国民の疑問に対して、答えなければなりません。そのためには、まず、産業界からの独立性を重視した原子力安全庁の設立など、適切な組織改革や人材育成が求められます。
 第二は、「使用済み燃料の長期保管」への疑問です。
 今回の福島原発事故が我々に教えたのは、使用済み燃料貯蔵プールというものが、ある状況においては、あたかも「剝き出しの炉心」のような状況になることの怖さです。貯蔵プールから水が失われ、格納容器が無い状況で燃料の溶融が起こることは、想像を絶するほどの最大のリスクであることを、我々は教えられました。
 従って、今後、全国の使用済み燃料貯蔵プールの安全性が、改めて問われ始めるでしょう。そして、各原発サイトの貯蔵プールの容量が満杯に近づいているという問題もまた、強い懸念とともに指摘され始めるでしょう。
第三は、「核燃料サイクルの実現性」への疑問です。
 核燃料サイクルの要である高速増殖炉や再処理工場は、常に、その実現が先送りされてきました。先ほども述べたように、それはあたかも、砂漠で遠くに見えるオアシスに近づくと、また遠ざかっていく現象のごとく、「ミラージュ(蜃気楼)計画」と揶揄されるものとなっています。こうした計画を、現実的な視点から見直さなければなりません。
 第四は、「放射性廃棄物の最終処分」への疑問です。
 かねて、核燃料サイクルのアキレス腱は、高レベル放射性廃棄物の最終処分だと言われてきました。これを実現しないかぎり、原子力は「トイレなきマンション」と言われ続けるからです。そして、福島原発事故によって、この問題は、「近未来の問題」ではなくなりました。「目の前の現実」の問題となったのです。なぜなら、炉心溶融を起こした原子炉は、まさに、この高レベル廃棄物そのものだからです。そして、さらに、汚染水処理や廃炉、土壌除染などに伴って、膨大な放射性廃棄物が発生していくのです。この膨大な放射性廃棄物の中間貯蔵と最終処分をどうするのか、決めていかなければなりません。
 第五は、「環境中放射能の長期的影響」への疑問です。
 たとえ低濃度であっても、広域の環境中に放出された放射性物質の人体に与える長期的影響については、いまだ明確な医学的知見が確立されていません。そのため、地域住民の健康と安全を最優先に考えるならば、除染作業目標や土地利用禁止などは、最も厳しい仮定に基づいて実施せざるを得なくなります。
 第六は、「社会心理的な影響」への疑問です。
 こうした問題から生じる社会不安や風評被害、その対策費などは、すべて社会的費用、すなわち、国民負担になっていきます。
 第七は、「原子力発電の安価性」への疑問です。
 以上述べてきた安全対策費用、核燃料サイクル費用、廃棄物処分費用、社会的費用などを考慮に入れたとき、原子力とは、本当に安価なエネルギーなのか。その疑問が突きつけられています。
 我々、原子力に携わってきた人間は、これから、この国民の疑問に、真摯に答えていかなければならないのですね。国民からの信頼の回復と、新たなエネルギー社会への一歩は、まさに、そこから始まるのでしょう。
──長時間のインタビュー、ありがとうございました。また、原発事故が最も厳しい時期に、内閣官房参与としての激務、お疲れさまでした。
 ありがとうございます。5ヵ月と5日の参与の仕事を締めくくる、良い機会をいただきました。

☆☆☆

原発、消費者金融、パチンコ・・・
依存者を食い物にしてきた日本の「グル」の構造

2011.09.13(火) JBPRESS
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/22166
川井 龍介

 記事は記述しないが、これは、的を射た指摘と言えよう。一読の価値あり。
☆☆☆



masaru_kaneko
masaru_kaneko
福島県伊達の松茸から、「基準値」の6倍以上にあたるキログラム当たり3300ベクレルの放射性セシウムが検出されました。チェルノブイリでもキノコは長く検出されています。農畜産物について、全量検査がないとジワジワと日本の農業が壊れていきます。http://t.co/T7gMu4Fx

☆☆☆



原発事故「人災だった」=保安院分離、逆行ない-菅前首相

(2011/09/17-19:43) JIJICOM
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011091700286
 菅直人前首相は17日までに時事通信のインタビューに応じ、原子力事故への備えについて「想定すべきことを考えてこなかったことは否定できない。危険性への対策をするのではなく、危険という議論をいかに抑え込むかをやってきた。
 安全神話は『生まれた』のではなく『つくられた』」と指摘した。
 3月11日の東日本大震災に伴う福島第1原発事故は「そういう意味で人災だった」との認識を示した。
 3月12日に福島第1原発1号機で起きた水素爆発について、前首相は「格納容器内に窒素を充填(じゅうてん)しているから水素爆発は起きない」との説明を東電や原子力安全委員会から受けていたことを明らかにした。また、同15日に東電の清水正孝社長(当時)が海江田万里経済産業相(同)を介して第1原発から撤退する意向を伝えてきたため、「とんでもない話だ」と危機感を持ち、政府と東電の対策統合本部の設置を決めたと振り返った。

 この面での管前首相の発言は、真実であろう。

 原子力委員会や東電の「未熟さ」が露呈され、彼らが、げbb資力行政の障害になることを示していると言えよう。

 出鱈目(斑目)委員長等の更迭が必要と言える。

☆☆☆

南スーダンPKOに陸自派遣検討 首相、国連演説で表明へ 

 2011/09/17 11:59 【共同通信】
政府は17日、南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊施設部隊の派遣が可能かどうか検討するため、月内にも調査団を派遣する方針を固めた。野田佳彦首相による23日の国連総会演説や潘基文事務総長との会談で表明、国際貢献への積極姿勢をアピールする。
 施設部隊の派遣は、7月に独立した南スーダンのインフラを整備し国家建設を支援するため、国連が日本政府に求めていた。調査団は現地のニーズや治安情勢、食料や燃料の補給ルートなどの情報を収集。
 調査の結果PKO協力法の「参加5原則」などを満たし派遣が可能と判断されれば、部隊の規模や任務を決定する。


南スーダン:政府、PKO派遣の可能性巡り調査団派遣へ

毎日新聞 2011年9月17日
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110918k0000m010057000c.html
 政府は17日、7月に独立した南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)に陸上自衛隊の施設部隊の派遣が可能かを判断するため、近く調査団を派遣する方針を決めた。野田佳彦首相が米国ニューヨークで23日に行う国連総会での演説で、派遣の可能性について言及する方針だ。
 施設部隊の派遣は南スーダンで道路などインフラ整備を進めるため、国連が日本政府に求めていた。調査団を派遣するのは、野田首相の「外交デビュー」となる国連総会を控え、国際貢献への積極姿勢を示すのが狙い。現地の治安情勢、活動場所などを調べ、派遣の是非を最終判断する。
 南スーダンのPKOを巡り、8月に来日した国連の潘基文事務総長は、当時の菅直人首相や北沢俊美防衛相らに直接、派遣を要請した。しかし、北沢氏は自衛隊が東日本大震災で対応していることや、ハイチの施設部隊派遣を受けて当面、司令部要員の派遣にとどめる意向を伝えていた。
 これに対し、9月に就任した玄葉光一郎外相は5日の毎日新聞などとのインタビューで、「インフラ整備部隊こそ日本の得意分野の一つだ。アフリカの中での南スーダンの戦略的重要性を考え、積極的に支援すべきだ」と述べ、施設部隊の派遣に前向きな姿勢を表明。大震災への自衛隊の大規模災害派遣も、8月末に終了している。【坂口裕彦】
毎日新聞 2011年9月17日 20時24分(最終更新 9月17日 21時58分)


南スーダンに陸自PKO…300人規模

(2011年9月17日03時04分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110916-OYT1T01227.htm
 政府は、南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)に、陸上自衛隊の施設部隊を派遣する方針を固め、具体化の検討に入った。
 今月中にも調査団を現地に派遣する。複数の政府筋が16日、明らかにした。20日から訪米する野田首相は、国連総会の一般討論演説と潘基文(パンギムン)国連事務総長との会談で、この方針を表明する方向で調整を進めている。
 派遣部隊の規模は300人程度を想定している。現地の道路や橋の建設・修復などのインフラ整備などを行う方針だ。検討と準備が進めば、早ければ年内に派遣を実現したい考えだ。実現すれば、民主党政権下でのPKO新規参加は、2010年2月のハイチへの復興支援以来、2回目となる。
 南スーダンは今年7月、スーダンから分離・独立を果たしたが、長い内戦による国土の荒廃が深刻な問題になっている。PKOをめぐっては、潘氏が先月8日、当時の菅首相と会談した際、陸自部隊の派遣を要請するなど、国連が日本政府に強く要請していた。
 しかし、菅政権の基盤が不安定だったことに加え、陸自は東日本大震災への対応に追われていた。また、現地の治安情勢が不透明だったことから、防衛省内に慎重論が強く、司令部要員の派遣を前提とした調査団を9月初旬に派遣し、首都周辺の治安などを確認するにとどまっていた。

 アメリカの石油利権擁護の為か治安上、問題があるのでは
☆☆☆

長時間労働1位はメキシコ人、有償労働は日本人が最長=OECD

2011年 04月 13日 13:55 JST REUTERS
http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPJAPAN-20591920110413


 [パリ 12日 ロイター] 経済協力開発機構(OECD)が29カ国を対象に行った調査で、1日の労働時間が最も長いのはメキシコだったことが分かった。逆に最も短かったのはベルギー。日本は有償労働の時間が一番長かった  メキシコ人の1日の労働時間は有償、無償(家事を含む)を合わせて平均10時間。ベルギーは7時間で他の大半の調査国の平均8時間を1時間下回った。
 調査はOECD加盟26カ国と中国、インド、南アフリカの15─64歳を対象に、1日をどのように過ごすかを調べた。ただ、対象には仕事を引退した人や休暇中の人も含まれていることから、休暇制度の充実している国や定年年齢の低い国の平均労働時間は短くなる傾向がある。
 最も労働時間の長かったメキシコでは、低賃金労働者が十分な休日もなく高齢になるまで働くことがある一方、労働時間の短かったベルギーでは一般的に年間数週間の休暇があり、60歳前後で引退している。
 また、有償労働に限ると、日本が平均で1日6時間超と最も長く、韓国とメキシコが後に続いた。最も有償労働の時間が短かったのはデンマークで、1日4時間未満だった。
 家事などの無償労働ではメキシコ人が1日3時間超と最長。最も少なかったのは韓国で1時間19分だった。無償労働のうち最大の比重を占めるのは料理で、最も時間が短かったのは米国の30分、最も長かったのはトルコで74分だった。

☆☆☆ 番外 ☆☆☆

反「ハシズム」集会に香山リカ氏ら 平松市長も出席

2011年9月18日0時12分 朝日新聞

http://www.asahi.com/politics/update/0917/OSK201109170144.html
写真:橋下徹・大阪府知事の政治手法について議論する精神科医の香山リカさん(右)と山口二郎・北大院教授=大阪市天王寺区、宮崎勇作撮影拡大
橋下徹・大阪府知事の政治手法について議論する精神科医の香山リカさん(右)と山口二郎・北大院教授=大阪市天王寺区、宮崎勇作撮影
 11月の大阪市長選に出馬する方向の橋下徹・大阪府知事の政治手法を議論するシンポジウム「『橋下』主義(ハシズム)を斬る」が17日、大阪市で開かれた。山口二郎・北大院教授らが主催し、自治体改革や教育行政に「政治主導」を打ち出す橋下氏の姿勢をファシズム(独裁主義)にかけて批判的に検証するのが狙い。同市長選で再選をめざす平松邦夫市長も会場に姿を見せ、識者らの議論に耳を傾けた。
 山口氏は基調講演で、橋下氏の政治手法について「上意下達の軍隊的官僚組織を作り、教育に競争を持ち込むやり方は多様性や自発性を否定している。政治主導ではなく単なる支配だ」と批判。「東日本大震災後に我々が必要としているのは相互扶助。政治は悪者を探してたたく見せ物ではない」と主張した。
 パネル討論では、精神科医の香山リカさんが、橋下氏の支持率の高さについて「次々にネタを出す刺激が受けているのでは」としつつ、「バトルの構図を描いて二者択一を迫るのが得意だが、世の中には白黒はっきりつかないことが多い」と指摘。帝塚山学院大の薬師院仁志教授は「橋下氏は軍隊的官僚主義と自由競争を求める市場原理主義という、両立しないものを時と場所に応じてしゃべる。長い目で見て(住民を)どこに連れて行くのか」などと疑問を示した。

☆☆☆

Astronomy Picture of the Day


2011 September 17 See Explanation.  Clicking on the picture will download
the highest resolution version available.
Spitzer's Orion NASA, JPL-Caltech, T. Megeath (Univ. Toledo, Ohio)
☆☆☆

 猫のタロー、病院で検査したところ、腎臓の機能に若干の変化があるが、異常なしとのこと、安心した。どうも、便秘がちで、浣腸して、多量の便を排出してもらった。大変ハードだったようで、先ほどようやく食事したようである。

・・・・・本日は、これまで・・・・・

0 件のコメント:

コメントを投稿