官僚に「使いこなされる」菅政権
何のための政権交代だったのか?
国会論議を聞いていて、何のための「政権交代」だったのかという感を強く持った。
「原稿棒読み」で、新鮮味が感じられないのである。
昨日、自民党最右翼の稲田女史に、「原稿を読むな」と徴発を受けていたが、私自身は、「原稿を読む」ことについては、違和感を持ってはいない。
わつぃ自身の経験からも、できるだけ、正確に自分の考えを纏めるという点で、事前に準備した経験があるからである。
問題は、原稿を菅首相自ら準備したのか?という点である。
原稿の内容を聞いていると、かっての、自公政権時の、官僚答弁そのものであるからである。
おそらく、菅政権になって、霞が関の官庁街が、深夜まで、不夜城のごとく生き返り、タクシーも生き返ってきただろう。
(江戸時代の霞が関)
野党時代の民主党が、批判を強めてきた問題であるが、鳩山政権後、急速に変化し、菅政権は、自公政権と同じように転化したようである。
これでは、早晩、国民に見放されることとなろう。
ところで、小澤元幹事長の「東京検察審議会」の再議決問題、疑惑解明といえば当然だが、視点を変えて検討すれば、面白いことが明らかになろう、
小沢氏の「改革」に対して、朝日新聞や毎日新聞等マスメディアを利用して、「日本人の顔をしたアメリカ人(外務官僚や前原外相)」や、「民間人を装った財界人(仙石官房長官)」が抵抗して、CIA張りの政治工作をしたのではないかとの見方ができるからである。
確かに、小沢氏のやり方には問題があるが、「日本のアメリカからの政治的自立」を目指したことは、評価できよう。
小沢氏自身が、国会の、政治倫理審議会あるいは、証人喚問に応じていれば、これほど問題にならなかったであろうが、この面では、小沢氏の稚拙さが、自らを窮地に追い詰めたといえよう。
これらを検討すれば、日本の政治状況は、新たな転換を求めているといえよう。
・・・本日は、これまで・・・
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