「稚拙な」民主党、現政権維持派の皆さん
西条八十氏の「カナリア」を熟考したら?
「国民」を忘れていませんか?
民主党の「新ポスター」が、党首の顔が消えて、「国民生活『が』第一」、「民主党」という、漢字だけの、極めて単純なものに変わったようである。
民主党の党是である、マニフェストの骨格だけは、「忘れて」いないようである。
西条八十という詩人が、「カナリア」という詩を書き、有名な「童謡」になっているが、この「詩」を吟味することを、菅政権や民主党議員に進めたい。
その際、「歌」を「国民あるいは、国民生活第一」、「カナリア」は「民主党、とりわけ仙石・前原・菅体制」、「船」は「マニフェスト」、「かい」は「努力」、「海」は「ねじれ国会」と置き換えて「吟味」して欲しい。
「歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは背戸の小薮に埋けましょか
いえいえ それはなりませぬ
歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう
歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい
月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す 」
というものだが、この、詩の意図するところを理解すべきであろう。
表面上は、厳しい、残酷なように受け止められるが、さにあらず、西条八十が、自らの境遇を激励・鼓舞するために歌ったものである。
要するに、初心を思い起こし、「忘れた」歌、「国民生活第一」の立場に立ち返れば、「歌を奏でるカナリア」に生き返るのである。
仙石・前原・菅体制は、「国民生活第一」「官僚支配打破」「アメリカからの自立」ETC、「マニフェスト」の基本部分を改竄、改悪して、「財界」や「アメリカへの隷属」、「官僚政治に屈服」したことから、窮地に追い詰められたことを「自覚」すべきであろう。
これでは、「政権交代」どころか、民主党を詐称した「自公政権」となんら変わらないではないか?
「幼稚」な仙石・前原・菅政権の「幹部?」の中には、自民党、公明党との、「連立組み替え」を主張する、「バカな」者もいると言われているが、政治スタンスが、自民党、公明党と同じであれば、知力、見識、政治力等、優秀?な政治家が、沢山おり、現政権を構成している政治家は、その足元にも及ばないことは明白である。
「官僚政治」容認、「反小沢」というスタンスに立っている、藤井元財務大臣も、「大政翼賛会だ。二大政党的にしないといけない」と、この動きに反対する見解を述べているのは、(藤井氏に対する、私の期待がはずれたが、)さすがと言える。
小泉元首相が、「連立をうけいれるな」と言っているのも、経験不足、見識、知力もない民主党「閣僚」を「容認」できないという、意思表示であろう。
「連立」で、このような「稚拙な」閣僚の「支配」下に与しないという、スタンスは、当然と言えよう。
民主党、現政権下の皆さんが、「政権維持」を目指したいならば、党内の、不毛な『反小沢』闘争をやめて、「挙党一致」体制を、強固にすべきであろう。
党内も纏められない「政権」が、民主党とは違う「綱領を持ち」政治スタンスも違う他党との協力など、出来るはずがない。
出来るとすれば、自民党に「隷属」して、国民を苦しめる以外にないのである。
今こそ、銀の「かい」を漕ぐべきであろう。
・・・本日は、これまで・・・
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