本日は、政争の問題から離れて、宇宙開発、とりわけ、「あかつき」失敗の問題点を鋭く抉り出している、松浦晋也氏が、日経ビジネスの取材に応じた内容を全文紹介して、日本の宇宙工学の発展を期したいと思う。
関係者の皆さんの、真摯な検討を、願いたいものである。
宇宙開発の新潮流
2010年12月10日(金) 日経ビジネス
「あかつき」周回軌道投入失敗から見えてくる宇宙工学の受難
あえて“初物”のスラスターを搭載した理由
12月7日、日本の金星探査機「あかつき」が金星周回軌道投入に失敗した。5月21日に種子島宇宙センターから打ち上げられたあかつきは、順調に飛行を続け、この日金星への最接近に合わせて、搭載した推力500N(ニュートン)の軌道変更エンジンを720秒噴射し、金星周回軌道に入る予定だった。
午前8時49分に噴射を開始したあかつきは、直後の8時50分に地球から見て金星の影に隠れた。ところが金星の影から出てきたあかつきを地上局で捕捉するのに手間取った。その後、通信を回復したあかつきの軌道を測定したところ、金星周回軌道に入れなかったことを確認。
さらに探査機からダウンロードしたデータから、噴射開始から約143秒で、あかつきの姿勢が乱れ、本来720秒行うはずだった噴射が停止したことが判明した。姿勢の乱れは、5秒間で軌道上初期重量が500kgある探査機が完全に1回転するという急激なものだった。
現在、宇宙航空研究開発機構(JAXA)では、事故調査を行っている。今のところ失敗の原因として一番可能性が高いのは、500Nスラスターのトラブルだと見られている。あかつきとの通信に問題がないので、大量の計測データが入手できることは間違いない。今後事故原因について、次々と新事実が明らかになるだろう。
ここでは500Nスラスターが、世界初のセラミック製だったということを取り上げ、そうなった背景を見ていきたい。「初物」は常にトラブルの覚悟がないと使えない。惑星周回軌道投入のためのスラスター噴射は、惑星探査機にとってももっとも危険な動作だ。一発勝負でやり直しができない。そこにあえて初物のセラミック製スラスターに使用した理由には、JAXA宇宙科学研究所における、宇宙工学部門の苦境が関係してくる。
宇宙研は前身の文部省・宇宙科学研究所時代から、「理工一体」を標榜し、理学と工学の緊密な連携を特徴としてきた。ところが2003年の宇宙三機関統合以降ずっと、宇宙研・宇宙工学部門は、宇宙空間での技術実証がままならないほどの非常に厳しい環境に置かれてきたのだ。
道具扱いされた宇宙工学
JAXA宇宙研のルーツをたどると、1955年に東京大学・生産技術研究所の糸川英夫教授が実験を行ったペンシルロケットに行き着く。糸川研究室のロケットはその後規模を拡大し、1964年には東京大学・宇宙航空研究所になり、1970年2月11日に日本初の衛星「おおすみ」の打ち上げに成功。1981年に、東大から独立して文部省・宇宙科学研究所となり、ロケットを開発しつつ年1機の割合で科学衛星を打ち上げ、世界的に見ても有力な宇宙科学の中核機関となった。2003年の宇宙三機関統合でJAXA宇宙科学研究本部となり、今年4月にJAXA宇宙科学研究所と名前を戻している。
この歴史から、本来工学系研究者がロケットを研究開発していたところに、ロケットを使って宇宙空間の研究をした理学系研究者が合流し、研究所が形成されたことが分かる。
1970年代から1990年代半ばまで、宇宙研は年1回の打ち上げで5機ロケットを打ち上げる間に、次世代ロケットを開発するというペースで動いていた。そして新型ロケットの1号機には宇宙工学部門が主導する工学試験衛星を搭載する慣例となっていた。
まず工学側が新たな技術で道を切り開き、それを利用して理学側が観測成果を挙げるという好循環が確立していたといっていい。これが崩れ始めたのは、ロケットがより大型のM-Vロケット(1997年初打ち上げ)に切り替わったあたりからである。M-Vは惑星探査機の打ち上げを念頭に開発されたが、大型化に伴いロケットも衛星・探査機も価格が上昇し、同時に予算は増えなかったことから、年1機のペースが崩れ始めたのだ。
減る予算を巡って理学系と工学系が離反
それに追い打ちをかけたのは、2003年の宇宙三機関統合だった。これにより宇宙研は独立した意志決定権を持つ組織からJAXAの一本部に格下げとなり、JAXA経営企画の下に従属することとなった。統合により宇宙予算全般が削られ、しかも予算配分の決定権はJAXA経営にある。6人のJAXA理事のうちひとりは宇宙研のトップが兼任することになっているものの自主裁量の幅は大きく狭まった。
減る予算を巡って、理学系と工学系の間に離反が発生し、研究者の数で優る理学系の衛星が優先的に計画化されるようになった。そこで使われたロジックは、「宇宙科学は、宇宙の研究が目的である。目的がまずあって、次に目的にあった道具の技術開発が必要にある」というものだった。この考え方だと、工学系の自発的な研究は抑圧されてしまう。工学系は、理学系のために道具としての技術を開発すれば良いということになってしまうのだ。
決定打となったのは、2006年のM-Vロケット廃止である。これによりペンシルロケット以来のロケット工学研究はほぼ断絶し、一部はJAXA筑波宇宙センターに移って新型ロケット「イプシロン」(2013年度1号機打ち上げ予定)の研究に従事することになった。
「M-Vの廃止で、かつての宇宙研は死んだ」と語るOBは多い。「自分たちの開発したロケットで、自分たちの衛星を打ち上げる」ということが、宇宙研の「理工一体」体制をを支えていた。ロケットがなくなったため、新ロケット1号機という工学系の指定席もなくなった。その一方で衛星開発は理学系が優先されたために、工学系は研究成果を宇宙空間で実証することすらままならなくなった。
かつて、5年に1回打ち上げていた工学試験衛星は、小惑星探査を行った「はやぶさ」(2003年打ち上げ)以降7年間も途絶えており、現在も後継計画は予算化されていない。宇宙工学系の一部は予算の増額を求めて、JAXA内で月・惑星探査プログラムグループ(JSPEC)という組織を立ち上げたが、こちらも予算獲得で苦戦している。
かろうじて今年、通常の衛星の1/10の15億円という予算で開発した小型ソーラー電力セイル実証機「イカロス」を、あかつき打ち上げのサブペイロードとして打ち上げることができた。イカロスは、世界初のソーラーセイル技術の実証を初めとした、すべてのミッションを完璧に成功させた。
宇宙工学こそがフロンティアを切り拓いてきた
イカロスの成功を念頭に過去を振り返ると、積極的にフロンティアを開拓しつつミッションを成功させ、新しい宇宙観測の歴史を切り拓いてきたのは、理学系ではなくむしろ工学系であったことに気がつく。
宇宙研は1985年以降25年間に、惑星間空間に5機の探査機を飛ばしている。最初が、ハレー彗星探査で、まず工学試験機の「さきがけ」(1985年1月8日打ち上げ)をM-3SIIロケット初号機で打ち上げた。次いで、本番のハレー彗星探査機「すいせい」(1985年8月19日打ち上げ)を打ち上げ、両探査機は1986年3月にハレー彗星に接近、観測を行った。実はこのハレー彗星探査は、ロケット大型化を目指していた宇宙工学側の提案に、理学側が乗る形で実現したものだった。
続く探査機は、理学側の宇宙プラズマ研究者らが立ち上げた火星探査機「のぞみ」(1998年7月4日打ち上げ)である。のぞみは、98年12月に火星へ向かう軌道に投入する際、軌道変更用スラスターにトラブルが発生。その後、軌道力学を駆使して5年をかけて火星に向かう軌道に入るものの、通信機器の故障などで2003年12月、火星周回軌道投入を断念した。
4番目が、小惑星探査機「はやぶさ」(2003年5月9日打ち上げ)である。はやぶさは宇宙工学側が、「小惑星サンプルリターン探査に必要な技術を確立する」という目的で立ち上げた探査機だった。幾多の困難を乗り越え、はやぶさは2010年6月13日に地球に帰還し、小惑星イトカワのサンプルを地球に届けた。
5番目が今回の金星探査機あかつきだ。あかつきは、理学系の惑星科学や高層大気の研究者が立ち上げた探査機だった。
工学系の企画した2機は成功し、理学系が企画した3機はうち1機が失敗、あかつきも失敗の瀬戸際にあるわけだ。
理学系は、宇宙観測が目的なので、「こういうことが実現できたらこんな観測ができる」というところから探査機を発想する。しかし、理学系がいくら「こんな観測をしたい」と渇望しても、工学系が観測の基礎となる技術を研究開発できなければ、そもそも観測はできない。かつての宇宙研では、この「工学系が道具を作る」「理学系が道具を使って成果を上げる」という連携がうまく行っていた。その連携が宇宙三機関統合とM-Vロケット廃止で分断され、工学系が弱体化したことが、宇宙研の運営に影を落としていることは間違いない。
理学系が観測に集中するあまり、潜在的な危険を探査機の設計に持ち込もうとする場合、「それをやったら危険だから、観測を妥協して安全性を高めましょう」と引き戻すのは工学系の役割である。その工学系が弱体化して、理学系のための道具を作る下働きにされてしまえば、探査機の危険度は上がるのが道理である。
「統合後に宇宙研に来た理学系研究者の中には、自分の専門分野のための衛星搭載センサーさえ作れば、探査機本体はメーカーが作ってくれると思っている者がいる」という危惧の声もある。実際にはメーカーにも、フロンティアに出て行くための新しい技術を自前で開発する余裕はない。今までどのメーカーも、宇宙研の工学系が行う研究に参加して、技術を蓄積してきたのである。工学系が弱体化すれば、メーカーの技術もまた弱体化することになる。
そのような状況下で、なんとか宇宙工学系の研究成果を宇宙空間で実証する方法はないかということで実現したのが、あかつきへのセラミック製スラスターの搭載だったのである。おそらく、かつてのように工学試験衛星が5年に1回打ち上げられる体制だったならば、あかつきにセラミック製スラスターは搭載されなかったろう。
事故調査を機に宇宙工学の研究体制建て直しを
あかつきの失敗原因は、急ピッチで進むようだ。この原稿が公開される10日にも事故原因に関係する発表があるかも知れない。
事故調査を単なる物理的な原因究明に終わらせてはいけないだろう。その背景には2003年の宇宙三機関統合と2006年のM-Vロケット廃止によって起きた、宇宙研の宇宙工学系研究の受難が横たわっている。必要なのは、糸川英夫以来の宇宙工学系の研究体制の建て直しだ。工学は確かに道具ではあるが、我々は適切な道具なくしてフロンティアに進むことはできない。
以上の内容から、喫緊に改善すべき問題点が、明白と言えよう。
・・・本日は、これまで・・・
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