2015年3月23日月曜日

原発事故でのストロンチウムを大熊、双葉、飯舘で確認※ 「安倍政権に『NO』を」と集会 1万4千人参加※ 集団的自衛権、賛成3割・反対5割 日経※ 「不戦の誓いを守る」ため、「戦争する」?

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原発事故でのストロンチウムを大熊、双葉、飯舘で確認

「安倍政権に『NO』を」と集会 1万4千人参加、国会周辺デモ

集団的自衛権、賛成3割・反対5割 日経世論調査

「不戦の誓いを守る」ため、「戦争する」  ドイツヒトラー並のレトリック



日経新聞の集団的自衛権問題での世論調査で、50%を超える人たちが、「反対」していることが報道された。

日経新聞は、権力側の立場に立っており、結果は注目される。

実態は、まだ多いのかもしれない

という事は、経営者の中にも、集団的自衛権問題に危機感を持っている人が多いと言う事であろう。

常識的に考えれば、アメリカの傭兵として利用される自衛隊の活動によって、日本が敵国化扱いされ、経済活動上、支障を受けることを憂慮していると言えよう。

このままいけば、間違いなく、中東・アフリカ地域での経済活動に打撃的な影響を蒙るであろう。

この関係で、アホ安倍首相は、防大の卒業式で、「不戦の誓いを守るため」「戦争する」と高らかに歌い上げた

実践の経験のない自衛官に、このようなレトリックを使って、煽れば、いずれ、2.26事件を再発させかねないであろう。

時間がないのでこれで止める。

以上、雑感。



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「安倍政権に『NO』を」と集会 1万4千人参加、国会周辺デモ

2015/03/22 18:20 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201503/CN2015032201001536.html
 現政権の政策への反対を訴える大規模集会で、「安倍政権NO」と書かれた紙を掲げる参加者=22日午後、東京・日比谷公園  4月の統一地方選を前に、首都圏反原発連合などの市民団体が22日、現政権の政策への反対を訴える大規模集会「安倍政権NO!大行動」を都内で開き、官邸周辺をデモ行進したり国会議事堂を取り囲んだりした。主催者によると、参加者は約1万4千人。  日比谷公園の集会で、千葉県内の高校1年の女子生徒が「政権は集団的自衛権の行使容認で戦争への道を進めているが、戦争になったら人生を壊されるのは私たちだ。反対しないことも戦争に加担することになる」と訴えると、会場から大きな拍手が上がった。集会では、原発再稼働や沖縄県名護市辺野古沿岸部への米軍基地移設などへの反対も訴えた。

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原発事故でのストロンチウムを大熊、双葉、飯舘で確認 (2015年3月22日 福島民友ニュース) http://www.minyu-net.com/news/news/0322/news9.html  県原子力センターは21日、東京電力福島第1原発事故で放出された放射性物質について県内56地点を計測した結果、大熊、双葉両町、飯舘村で原発事故に由来するストロンチウム90を確認したと発表した。
 同日の日本原子力学会の大会で明らかにした。同センターは原発事故前の2005(平成17)年にストロンチウムを計測していた56地点の測定データを参考に、同じ地点で事故後の11年8月に土壌を採取。両者を比較することで、原発事故前後のストロンチウムの変化を調べた。

 変化が明確だったのは大熊町夫沢が最大で、05年は検出限界値以下だったストロンチウムが事故後は土壌1キロ当たり81ベクレルとなった飯舘村深谷は同2ベクレルから18ベクレル、双葉町郡山は同3ベクレルから15ベクレルで、同センターはこの3地点は原発事故に由来するストロンチウムとみている。

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圧力容器配管の損傷実験 漏れた燃料量推定へ (2015年3月22日 福島民友ニュース) http://www.minyu-net.com/news/news/0322/news8.html  エネルギー総合工学研究所は21日、東京電力福島第1原発事故で、原子炉圧力容器につながる配管がどのように損傷したかを確かめるため、原寸大の模型を使った実験に取り組む方針を明らかにした。配管は、溶け落ちた燃料が圧力容器外に漏れた経路の一つとされている。実験により損傷のメカニズムが明らかになれば、漏れた燃料の量などを推定する手掛かりになるとみられる。
 実験の方針は、茨城県日立市で同日開かれた日本原子力学会の大会2日目の発表で示した。原子炉圧力容器の底部には、圧力容器内の各種データを採取する計測機器や制御棒を入れるための装置などの配管が、垂直方向に圧力容器を貫通する形で設置されていた。原発事故により熱などで損傷したとされている。

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集団的自衛権、賛成3割・反対5割 本社世論調査
内閣「支持」51%、「不支持」33%で横ばい
2015/3/22 22:00  日経新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS22H2H_S5A320C1MM8000/?dg=1
 
 日本経済新聞社とテレビ東京による20~22日の世論調査で、集団的自衛権の行使を可能にするための関連法案について、今国会での成立に「賛成」は31%にとどまり「反対」の51%を下回った。政府・与党は5月に関連法案を提出して今国会での成立を図るが、依然として慎重論が根強い。自衛隊の海外での活動の拡大に関しては賛否が拮抗した。 画像の拡大  内閣支持率は2月の前回調査から1ポイント上昇の51%、不支持率は1ポイント低下の33%でいずれもほぼ横ばい。政党支持率は自民党が42%で前回から5ポイント上昇した。民主党は1ポイント低下の9%。無党派層も4ポイント低下の34%だった。  集団的自衛権は日本が直接攻撃を受けていなくても、米国など密接な関係国への攻撃に反撃できる権利。これまでの憲法解釈では行使できなかったが、昨年7月の閣議決定で「日本の存立が脅かされる明白な危険がある」などの要件に当てはまれば行使できるとした。  自民党支持層では成立に「賛成」が50%で「反対」は32%だった。公明党支持層では「反対」が「賛成」を上回った。与党支持層の中でも温度差が目立っている。  男性では「賛成」が45%で「反対」が43%。女性は「賛成」が20%、「反対」が56%と差が開いた。  政府・与党は集団的自衛権の行使だけでなく、米軍をはじめとする他国軍への後方支援や、復興支援の際に治安維持などの活動ができるようにするなどの法整備を目指している。こうした自衛隊の海外活動の拡大については「賛成」が43%、「反対」が41%でほぼ並んだ  内閣支持層では60%が賛成しているが、不支持層では24%にとどまっている。男性は賛成が55%、女性は35%だった。  原子力発電所の再稼働については「進めるべきだ」が27%と、前回調査から8ポイント低下した。「進めるべきでない」は10ポイント上昇して62%になった。  調査は日経リサーチが全国の成人男女を対象に乱数番号(RDD)方式で電話で実施。有権者のいる1494世帯から1043件の回答を得た。回答率は69.8%だった。 以下個別設問結果記載のため省略。 --- 当方 ただ、政党支持率では、日本共産党が、維新の会や公明党を抑えて3位に入っていることが特徴と言えば特徴と言える。

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日本が平和国家であり続ける理由 リー・クアンユー
シンガポール元首相
2013/2/21 7:00  日経新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK19016_Z10C13A2000000/?nbm=DGXLASFK23H0T_T20C15A3000000
forbes (2013年2月13日 Forbes.com) シンガポールのリー・クアンユー元首相=共同 画像の拡大 シンガポールのリー・クアンユー元首相=共同  国家の人口が増えている時、世の中は得てして楽観論に包まれ、さらなる発展への欲望が後から沸いてくる。第2次世界大戦が勃発した当時のドイツと日本が、まさにそうだった  1931年当時、日本の人口は6450万人だった。合計特殊出生率は1930年代後半に4.1人に達していた。日本は、満州(現在の中国東北部)に照準を定める。満州は底知れない規模の天然資源の宝庫であり、同時に日本とロシアの緩衝地帯にもなりうる。そこで1931年9月、侵攻した。  中国の人口は4億9210万人で国土は370万平方マイルだった。しかし、国土が一つにまとまっていたわけではなく、これが中国の弱点となった。日本はこの後しばらく、中国との間で小競り合いを繰り返したが、1937年の半ば、ついに衝突が本格的な戦争へ発展した。1938年10月末までに中国国民党による政府は重慶南部に後退し、1941年までに日本は中国沿岸部のすべての都市と隣接する広大な地方部、さらに仏領インドシナの北部および南部を手中に収めた  1941年7月、米国政府は日本に対して、インドシナから撤退しなければ日本に対して石油の禁輸措置を科すという内容の最後通牒を突きつけた。 1941年当時の米国は人口が1億3000万人を超え、日本より格段に強力な産業基盤を有していた。にもかかわらず、1941年12月7日、日本は大きな賭けに出た 宣戦布告なしに350人以上の兵士と爆撃機、雷撃機が6つの空母から2波に分けて発進し、真珠湾の米国海軍の艦船を攻撃した。 (米国にとって幸いだったのは、米国の空母は外洋に出ていて、奇襲を免れたことだ)。日本は同時に、オランダ領東インドの石油を手中に収めるために、東南アジア全域に侵攻した。  当然、米国は海軍を立て直し、1942年6月のミッドウェー海戦において、日本の6空母と援護にあたった艦船の大半を沈めた。しかし、日本人は勇猛で、降伏するくらいなら死ぬまで戦おうとした。日本の陸軍は世界で最も残忍で冷酷になっていった。硫黄島の戦いはあまりにも激しく、米国は後に、もしも日本本土を攻略しようとすれば、100万人の兵を失うだろうと推計。代わりに、米国は広島と長崎に原爆を投下。アジアで帝国を築く日本の野望を葬った  似たような状況はドイツでも起きていた。1939年当時、ドイツの合計特殊出生率は2.6人。とにかく、ドイツは何にもまして国民に「lebensraum」(ドイツ語で十分な住空間)を与えたいと考えていた。ヒトラーは第2次大戦中、東欧に攻め込み、ウクライナとロシアのスラブ系住民を全滅させ、そこにドイツ人を住まわせようとした。 しかし、ヒトラーもヒトラーの側近たちも、ロシア人の忍耐力や勇気、さらには戦場となるロシアの極寒の冬をみくびっていた。この結果、ドイツはロシア軍の反撃によって多数の犠牲者を出すことになった。 画像の拡大  現在、日本とドイツはともに出生率が低下している。2012年のドイツの合計特殊出生率は1.4人。日本も1.4人に低下している。日本の人口は2060年までに、現在の1億2800万人から8700万人に減少すると推計されている。ドイツも日本も、もはやもう一度戦争を仕掛ける必要もなければ、欲求もない。  現代世界が比較的に平和で安定している理由の一つは、すべての先進国の合計特殊出生率が2.1人を下回っていることにある(シンガポールは1.2人だ)。成長が著しい国のいくつかも、同様に合計特殊出生率が低い。例えば、中国の合計特殊出生率は2012年に1.6人となる見通しだ。こうした国々はもはやlebensraumを探し求める必要もない。  しかし、発展途上国の合計特殊出生率は概して高い。なかでも高いのがインドで、2012年は2.6人とみられる。これは人口がなお過密になり、インフラや学校、医療、社会福祉の不足が深刻になることを意味している。アフリカの合計特殊出生率はさらに高く、多くの国で4人から7人の間となっており、人口置換水準の2.1人をはるかに上回っている。  世界はこれまでに、人口増大の帰結に苦しんできたのだ。この先、人口問題の地平には何が見えるだろうか。そして我々は、この問題と向き合う準備ができているだろうか。 当方注: これが、日本に対する国際的標準的評価である。 日本国民会議(安倍ではない、彼は傀儡に過ぎない)が、この国際的評価を変えようとしているのである。

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「不戦の誓いを守る」ため、「戦争する」  ドイツヒトラー並のレトリック

首相の前で「帽子投げ」も…防大卒業式で訓示

2015年03月22日 21時41分 読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150322-OYT1T50077.html?from=ytop_main2 卒業式の最後に行われた恒例の「帽子投げ」(22日午後、神奈川県横須賀市で)=栗原怜里撮影
卒業式の最後に行われた恒例の「帽子投げ」(22日午後、神奈川県横須賀市で)=栗原怜里撮影  安倍首相は22日、防衛大学校(神奈川県横須賀市)の卒業式で訓示した。  首相は「戦後、わが国はひたすらに平和国家の道を歩んできた。しかし、それは平和国家という言葉を唱えるだけで実現したものではない」と述べ、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)への初参加(1992年)などを「果敢な行動」と評価した。  そのうえで、「国際情勢は絶えず変転している。不戦の誓いを現実のものとするため、私たちも決然と行動しなくてはならない」として、グレーゾーンから集団的自衛権まで切れ目のない対応を可能とする安全保障法制の必要性を強調した。  また、「行動を起こせば批判にさらされる。過去にも『日本が戦争に巻き込まれる』という、ただ不安をあおろうとする無責任な言説が繰り返されてきた。こうした批判が荒唐無稽であったことは戦後70年の歴史が証明している」と指摘した。政府の安全保障政策を巡って繰り返されてきた批判的な報道に対し、反論したものとみられる。  この日は、卒業生が式の最後に、帽子を一斉に頭上へと投げる恒例の「帽子投げ」も首相がいる前で行われた。例年は首相の退席後に行われていた。  今年度の卒業生は留学生を除き472人(女性45人)で、自衛官にならない任官拒否者は25人だった。 当方注: 平和国家という言葉を唱えるだけで実現したものではない」とは、白を黒と言い換える、「真っ赤な嘘」である。 歴代自民党政権は、「憲法9条」を守り、その路線の上に「平和」を実現してきた。 アホ安倍の主張では、朝鮮戦争から、ベトナム、アフガン、イラク戦争で、自衛隊員をはじめ、日本人の多くの国民の血が流されていたであろう 安倍政権が、ナチスヒトラー張りの「レトリック」を使って、「荒唐無稽な主張」を行っているが、現状では、「化けの皮が剥がされつつ」あり、これを乗り切るため、「さらなる嘘」を展開するであろう。 しかし、良識ある日本人は、確実にこれを克服しつつある 崩壊は、近いであろう。

☆☆☆ 真っ赤なウソ」

防衛相 安保法制整備は安全確保配慮した内容に

3月22日 17時46分 NHK

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150322/k10010024391000.html

防衛相 安保法制整備は安全確保配慮した内容に k10010024391_201503221809_201503221827.mp4 中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は、神奈川県横須賀市で記者団に対し、安全保障法制の整備では、海外で活動する自衛隊員の安全確保に十分配慮した内容になるよう法案化を進める考えを示しました。 安全保障法制の整備を巡っては、自民・公明両党が20日、政府に法案化の方針を示す「具体的な方向性」で正式に合意し、自衛隊が海外での活動に参加するにあたっては、公明党が求めてきた、「自衛隊員の安全確保」など3つの原則を確立することが盛り込まれています。
これに関連して、中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は22日、神奈川県横須賀市で記者団に対し、「外国軍隊への後方支援では、活動場所の近くで戦闘行為が発生した場合、活動を一時休止するなど、危険を回避する措置を設けることを検討している」と述べました。
そのうえで中谷大臣は、「部隊の安全確保に十分配慮するのは当然であり、それを踏まえて、具体的に法案の内容を検討したい」と述べ、安全保障法制の整備では、海外で活動する自衛隊員の安全確保に十分配慮した内容になるよう法案化を進める考えを示しました
当方注:
防衛相の発言は、真っ赤なウソと断じたい。
もし、そうであれば、「安保法制整備」など、必要がなく、現状の法制で十分であるからだ。

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被害女性が手記「まさか発砲するとは」 チュニジア襲撃

2015年3月22日22時55分 朝日新聞 http://www.asahi.com/articles/ASH3Q5TKDH3QUHBI014.html?iref=com_rnavi_arank_nr01 チュニジアの博物館襲撃事件で負傷した陸上自衛隊の3等陸佐(昔の階級で少佐、上級幹部です)、結城法子さん(35)が21日、日本大使館を通じて朝日新聞など日本メディア数社に手記を寄せた。当時の心境を「生きた心地がしなかった」と振り返った。  手記によると、結城さんは母と14日に日本を出国。イタリア・ジェノバ発の7泊8日のクルーズに参加した。18日朝にチュニスに入港し、ガイドツアーでバルドー博物館を訪れた。  展示室を移動中に襲撃に遭遇。逃げ込もうとした展示室でも発砲があり、入り口を振り向くと、銃を持った男が立っていたという。結城さんは男の顔を見ることなく、すぐに頭を手でおおって床にふせたという。「死ぬのだと思った」「現実のこととは思えなかった」とつづった。  また朝日新聞など一部メディアの取材に触れ、「どうか私たちを静かに見守っていてほしい」と結んでいる。  事件では、日本人3人を含む外国人観光客ら21人が死亡した。      ◇ ■結城法子さんの手記全文(原文ママ)  日本の皆様には多大なる御迷惑・御心配をおかけしていることと思います。申し訳ありません、そしてありがとうございます。事件後、ネットやTVを見ることができず、あそこで何が起きたのか、どのような報道がされているのか、全くわかっていません。今はとても人前に出られる状態ではありませんので、文章で失礼させて頂きます。  私と母は、3/14に日本を出発し、3/15にイタリアのジェノバから7泊8日の予定でMSCスプレンディダに乗り、クルーズに出発しました。3/18の朝8時ごろチュニジアに到着し、ガイドツアーに参加しました。英語とフランス語のガイドでしたので、話をあまり理解できていなかったかもしれません。  11:30ごろ、現場となったモザイク博物館に到着しました。2階を見学している時に、ツアーの参加者が「窓の外に銃を持った人がいる」といい、何人もがのぞいていました。ガイドは、「チュニジアではよくあることだ」と言ったように思います。あまり緊迫感はなく、まさか発砲されるとは思いませんでした  その後、ガイドに部屋を移動するように言われ、移動している途中で銃声が聞こえました。皆走りだしました。しかし、入ろうとした部屋で発砲され、人が血を流して倒れるのが見えました。前の人々が立ち止まったので、私はうしろへ倒れました。その時、後方から銃声がし、耳に痛みを感じました。部屋の入り口を振り向くと、男が銃を持って立っていました。顔は見ていません。すぐに頭を手でおおって床にふせました。かなり長い間銃が乱射されていました。身体中に痛みがあり、私は死ぬのだと思いましたが、とても現実のこととは思えませんでした。  しばらくして男が去り、起き上がると部屋には約10名の人々が倒れていました。無傷の人々もいましたが、動かない人もいました。  私は左手、左耳、首に痛みがあり、血が流れていましたが、大きな問題はなさそうでした。母は私の隣で倒れていました。首から出血し、頭の下に血だまりができていました。呼びかけると、「首が痛い」と言い、手足を動かしたので少し安心しましたが、自力で動くことはできませんでした。その後も遠くから銃声や爆発音が聞こえ、また犯人が戻ってくるかもしれない、と思うと生きた心地がしませんでした。私が母を旅行に誘ったので、本当に母に申し訳ないと思いました。  銃を持った警察が助けに来てくれた時には安心して号泣してしまいました。母を助けるようにお願いしましたが、歩ける人が先と言われ、私は母と別れ救急車へ連れていかれました。  病院へ着くと、パスポートなどが入ったバッグはとられて、携帯もなくなってしまいました。診察を受け、処置を受けた後、全身麻酔が必要なので移動する、と言われ、また救急車で移動しました。外でも、救急室でも、多くの人がいて写真やビデオを向けられ、とても不快でした。  新しい病院にうつると、すぐに病室へ通され、まず局所麻酔で耳の処置をされました。かなりの痛みがあり、それを伝えると、手と背中の処置はもっと痛いので、全身麻酔でする、と言われました。  その後、部屋に大勢の人々が入ってきました。チュニジアの首相や、政府の方々に、母を見つけて欲しいとお願いしました。その後、NHKやニューヨークタイムスを名のる人々も来て質問に答えるように言われました。そうしなくてはならないのだ、と思い答えましたが、何を話したのか正直なところ覚えていません。 日本大使館の方がいらして、日本の家族の連絡先を聞かれましたが、携帯がなかったので実家の固定電話しかわからず、なかなか連絡がつかなかったようです。  夕方になり、母は他の病院で手術を受けていて無事だ、ということがわかり、安心しました。しかし、私も手術が必要だと言われ、手術室へ移動しました。全身麻酔だったので起きたらすべて終わっていたのですが、手術前と比べ激しい痛みがあり、お願いして痛み止めを使ってもらいました。しかし、母は全く英語が話せないので、話が通じているのだろうか、痛みはないか、と不安になりました。手術は3時間ほどで、夜10時をすぎていたようです。  病室へ帰ると、大使館の方と日本人の現地のコーディネーター、という方がいました。私は1日中泣いていたせいで目が腫れあがってあけることができず、その方の顔は見ていません。大使館の方は母に電話をかけて下さり、母の声を聞いて安心しました。コーディネーターの方は電話をして、日本テレビのインタビューを受けるように言いました。言われるがまま質問に答えましたが、ボーッとしていてはずかしかったので、インタビューをそのままテレビで流していいですか、と言われ断りました。すると、すでにNHKのインタビューがテレビで流れていて、名前も顔もでているからいいでしょう、と言われました。その時初めてそのことを知り、ショックを受けました。  翌日の朝にはパスポートなどが入ったバッグが戻り、大使館の方を通じて日本の家族と話すことができました。母も、私のいる病院に転院してきて、一緒の病室に入ることができました。  部屋をうつった後、部屋の前で「取材をさせて下さい。あなたに断る権利はない」と日本語でどなっている声が聞こえ、ショックでしたが、それは私にではなく、大使館の方に言っているようでした。大使館の方は、「朝日新聞の記者の方がインタビューをさせて欲しいと言っているが、受ける必要はない。体調も良くないし、インタビューがどう使われるかわからないし、あなたには断る権利があります」と言われました。今まで、義務だと思いインタビューを受けていたので、涙がでるほどうれしかったです。  昨日、フジテレビの方にも取材を申し込まれました。お断りしようと思いましたが、今の自分の気持ちを伝え、今後の取材をお断りするかわりにこの文章を書いています。母は今日また手術を受け、その結果によっては日本に帰ることができるようです。私も母も無事ですが、体調は悪く、はやく日本に帰りたいです。 チュニジアの方々や日本大使館の方々には大変感謝しています。こちらには情報が入ってこないので、何が起きているのは正確にはわかっておらず、誤解もあるかとは思いますが、どうか私達を静かに見守っていてほしいと思います。  3/20 09:00 結城法子 ■取材の経緯、説明します 朝日新聞国際報道部長・石合力  今回の事件で犠牲になられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、結城さんをはじめ負傷された方々の一日も早い快復をお祈りします。  手記の中で結城法子さんが朝日新聞記者の対応について触れられた部分について経緯を説明します。  事件取材では、何が起きたかを報じる上で、公的な発表だけでなく、当事者への取材が欠かせません。  記者は負傷した方々の容体や事件当時の状況を取材するため、発生翌日の19日午後(日本時間同日夜)、チュニス市内の病院を訪れました。  救急部門の責任者の医師に朝日新聞の記者であると告げ、取材したところ、結城さんについて「軽傷なので病室に行くといい。インタビューできると思う」との説明を受けました。結城さんのインタビューがすでにテレビで報じられていたこともあり、取材可能だと受け止めました。  病室の前までは、病棟の警備担当者の先導を受けました。病室前にいた日本人男性が「大使館です」と答えたため、記者だと名乗った上で「取材をさせてほしい」と伝えましたが、「できない」「だめだ」と断られました  「医師からの了解はもらった」と説明しても対応は変わらず、「結城さんご本人やご家族が断るならわかるが、あなたが決める権利はないですよね」と聞いたところ、「私は邦人を保護するのが仕事です」との返答でした  こうした対応が結城さんの意向を受けたものか分からなかったため、「ご本人に聞いてみてほしい」と、しばらくやりとりを繰り返した後、大使館員は結城さんの病室に向かいました。警備担当者に「後にした方がいい」と促されたため、記者はこの時点で取材はできないと判断し、病棟を退出しました。  今回、記者は医師の了解を得るなどの手続きを踏みました。大使館員とのやりとりについて、記者には大声を出したつもりはありませんでしたが、手記の中で「どなっている声が聞こえ、ショックでした」と記されていることを重く受け止め、結城さんにおわびします。  当事者への取材にあたっては、十分な配慮をしながら、丁寧な取材をこころがけたいと思います。

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Astronomy Picture of the Day


Discover the cosmos! 2015 March 22 See Explanation.  Clicking on the picture will download
 the highest resolution version available. A Double Eclipse of the Sun (ダブル【ISSと月】日食)
Image Credit & Copyright:
Thierry Legault 説明: 太陽を同時に 2 回日食することができますか?先週の金曜日、地球の一部が太陽の珍しい皆既日食に扱われたので注目にされた。しかし、また金曜日に、影が薄く、太陽の一部を見ただけ地球の部分から 2 番目のオブジェクトが登場、同時に太陽の前に 地球軌道国際宇宙ステーション(ISS)が通過しました。宇宙ステーション食は非常に速い--この場合、0.6 秒だけ、です。 ☆☆☆

妻純子の状況:

状況に変化なし。

後は、CRPの低下を待つのみだ。

・・・・・本日は、これまで・・・・・

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