2015年3月28日土曜日

原発事故の確率は四十年に一回起きる想定※ 辺野古岩礁破砕 巨大ブロック隠して手続き 防衛省認める※ 高村氏、日米協力を地球規模に 安保法制 ※「八紘一宇」国会発言 問題視されない怖さ

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原発事故の確率は四十年に一回起きる想定

辺野古岩礁破砕 巨大ブロック隠して手続き  防衛省認める


高村氏、日米協力を地球規模に 安保法制

戦意発揚スローガン「八紘一宇」国会発言 問題視されない怖さ

古賀茂明氏 ラスト出演した報ステで再び「I am not ABE」



朝まで生TVを聞いていて驚いた。

新進気鋭の論客の皆さん、ほとんど全員が、「権力・企業擁護」の論者であった

「格差社会」の問題については、彼らの主張は、さらに、「格差拡大」を主張するものであった。

国民生活をどうするか、全く「意識がなく」自らの「保全」の主張しかしていないのである

彼らは、「能力の無い者は去れ」と主張していたが、彼らの土台そのものを理解していないようである。

もともと、このような主張をして「正論ならば」このような番組に出席できないのであるが、自由に出席出来ると言う事は、「エセ正論」で、「泳がされている」主張を展開する証明で、「権力側」の認知を受けていると言う事であろう。

現実に、権力の横暴を指摘する「論客」はすべて排除され、TVから排除されていることは、古賀茂明氏の状況を見ても明らかであろう

彼ら自身が、権力側の擁護なしには活動できない「無能力者である」ことを「自認」すべきであろう。

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現在、福島原発事故以降、原発事故発生確立は、「40年に一度」とされているようだ

国際的に見て、原発稼働以降、約70年、チェリノブイリ、スリーマイル、福島第一と過酷事故が発生しており、単純に見れば、25年に一度は過酷事故が発生していることとなる。

こういう中で、また、「原発安全神話」復活の動きが出て、「40年に一度」という想定を無くす動きが出ているようである。

世界各地の原発はそれぞれ古くなっており、想定外の事故が多発する危険性が強い。

次の4回目の過酷事故は、日本でないと言う保証はないのである

もう、いい加減に、「夢から覚めた方が良い」のではなかろうか

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自民党が、日本を売り渡す立場を鮮明にしたようだ。

自民党の副総裁である高村氏が、USAで講演している。

日米協力をグローバルに」いう内容である。

今後は、CIAの走狗になって、様々な活動を行い、実戦の先兵として利用されることとなろう。

しかし、日本国民は、このような暴挙を「近いうち」に打ち破るであろう

以上、雑感。



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原発事故の確率は四十年に一回起きる想定

「原発事故の確率減」 コスト抑制 経産省強調

2015年3月27日 朝刊 東京新聞 http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2015032702000133.html  経済産業省は26日、発電方式ごとにかかるコストを検討する有識者会合を開き、原発で発電する場合に必要なコストの計算方法について話し合った。産省は福島第一原発のような事故が起きる確率を、前回試算より低く見積もる案を提示。原発に必要なコスト全体を抑えることにつながる提案で、委員から反対意見があがり、まとまらなかった。  二〇一一年の前回試算では、原発の建設から廃炉までの費用のほか、使用済み核燃料の再利用計画にかかる費用や、政府が自治体に配る交付金なども考慮。この結果、一キロワット時の発電に必要なコストを「最低八・九円」とし、政府は「原発は低廉」と主張してきた。  この「最低八・九円」には震災後に電力各社が行った安全対策費や、福島第一原発と同じ規模の事故に備えた費用も一定の条件で推計して含まれている。原発事故の確率は四十年に一回起きる想定になっている。  しかし現在は安全対策費も事故処理費用も当時の想定を大幅に超え、原発コストの上昇要因になっている。これに対し経産省は「安全対策が進んだのだから、事故が起きる確率は低くならなければおかしい」(幹部)と主張。この日の会合で配った資料に、事故の発生頻度が「低減すると予想される」と書き込み、これが「反映されるような算定根拠を考える」と提案した。  委員の中には「個人的には事故の確率は半分ぐらいになっている感覚だ」(山名元・京都大教授)と安易に同調する意見もあった。  これに対し植田和弘京都大教授は「安全対策の効果を算出できるなら事故の確率を下げてもいいが、できないなら(注釈などの)記述で済ませるしかない」と主張するなど意見が割れ、この日は結論を見送った

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辺野古岩礁破砕 巨大ブロック隠して手続き

山下・赤嶺両議員追及 防衛省認める

2015年3月27日(金) しんぶん赤旗 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2015-03-27/2015032701_02_1.html 写真 (写真)質問する山下芳生書記局長=26日、参院内閣委 写真 (写真)質問する赤嶺政賢議員=26日、衆院安全保障委  防衛省が沖縄県名護市辺野古での米軍新基地建設に必要な岩礁破砕の許可手続きを沖縄県と事前調整する際、浮具や浮標の固定のために使うコンクリートブロックの規模を県側に説明していなかったことが26日、分かりました。  同日の参院内閣委員会での日本共産党の山下芳生書記局長の質問、衆院安全保障委員会での赤嶺政賢議員の質問に対し、防衛省が認めました  県側は昨年8月、巨大ブロックとの認識がないまま、ブロック関連の許可手続きは不要と判断して岩礁破砕を許可しました。その後、ブロックによるサンゴ礁の破壊が問題となり、翁長雄志知事が許可取り消しを検討しています  ブロックの重さや大きさを県に事前に説明していたかとの両氏の質問に、防衛省は「具体的な重さについては(県に)示していない」と答弁。一方、県との事前調整時から「大体の大きさのめどはあった」として、巨大ブロックを使う方針があったことを認めました  同日の赤嶺氏への答弁で、県内の同種事業で通常使用されるものを上回る大きさのブロックが辺野古沖に投下されている実態も明らかになりました。那覇空港の滑走路増設事業と比べ、辺野古沖では15~45倍の重量のブロックが浮標の固定用に使われています。(表)  赤嶺氏は「他の事例をはるかに上回るブロックを用意しながら示しもしない」と批判。山下氏は「法治国家でこんなことが通用するのか」と指摘し、県の海底調査に協力するよう求めました。  菅義偉官房長官が「辺野古への移転断念は、普天間基地の固定化を容認することに他ならない」などと強弁したのに対し、山下氏は「無条件撤去の立場でアメリカと交渉もせず、古い証文にしがみついている。こんなことを許してはならない」と批判しました。 図

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辺野古移設作業停止指示、無効とする方向で調整 農水相

2015年3月28日03時08分 朝日新聞 http://www.asahi.com/articles/ASH3W66BLH3WTPOB009.html
 米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設問題で、県が沖縄防衛局に出した作業停止指示について、林芳正農林水産相は30日に執行停止を決め、指示を無効とする方向で調整に入った。執行停止は、防衛局が指示への対抗措置として申し立てたもの。翁長雄志知事は27日、「申し立ては不適法で却下されるべきだ」とする意見書を農水相に送った。  防衛局は作業停止指示の取り消しを求めて農水相に行政不服審査法に基づく審査請求をし、あわせて執行停止も申し立てていた。執行停止が認められれば、県の指示はいったん効力を失うため、国が作業を停止する必要はなくなる。  県庁で記者会見した翁長氏は、申し立て自体が「成立し得ない」と指摘。理由に、①県の指示は行政処分でなく行政指導で、申し立ての対象外②制度は国民が不服を申し立てるためのもので、国が申し立てることは予定されていない――などを挙げた。その上で「日米関係が悪化するから(県の)許可を得ずに作業を続けていいというなら、主権を持つ独立国家の行動ではない」と国を批判した。  国が作業停止の指示に従わなかった場合、埋め立てに必要な岩礁破砕許可を取り消すかどうかについては「仮定の質問には答えられない」と明言を避けた。  翁長氏は23日、国の海底調査に伴う作業でサンゴ礁が損傷した疑いがあるとして、防衛局に30日までに作業を停止するよう指示。防衛局は24日、関連法を所管する農水相審査請求と指示の執行停止の申し立てをし、農水省は27日までに意見を出すよう県に求めていた。

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首相の米議会演説”平和に貢献 発信する場に”

3月27日 11時59分 NHK

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150327/k10010029611000.html

首相の米議会演説”平和に貢献 発信する場に” k10010029611_201503271224_201503271232.mp4 菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、安倍総理大臣が来月、アメリカ議会の上下両院の合同会議で演説を行うことが決まったことについて、強固な日米同盟を発展させ、国際社会の平和と繁栄に貢献していくというメッセージを世界に発信する場にしたいという考えを示しました。 安倍総理大臣は来月26日から5月3日までの日程でアメリカを訪問し、現地時間の28日、ワシントンでオバマ大統領との日米首脳会談に臨んだあと、翌29日、日本の総理大臣として初めてアメリカ議会の上下両院の合同会議で演説を行うことが決まりました。
これについて、菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、「強固な日米同盟を世界に示すうえで、大変有意義なことだ。この70年間、基本的人権、民主主義、平和、法の支配といったわが国の歩みは世界から高く評価されており、今回の上下両院での演説につながったのではないか」と述べました。
そのうえで、菅官房長官は「日米両国は戦後、和解し、共通の価値観を共有する強固な同盟国として国際社会の平和と繁栄に貢献してきた。今後とも、この掛けがえのない同盟関係を発展させ、一層国際社会の平和と繁栄に貢献していくというメッセージを世界に発信していくための絶好の機会だと受けとめている」と述べました。

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高村氏、日米協力を地球規模に 安保法制で講演

(2015/03/28 04:00カテゴリー:政治) 福島民報
http://www.minpo.jp/globalnews/detail/2015032701002158
 【ワシントン共同】自民党の高村正彦副総裁は27日午後(日本時間28日未明)、訪問先の米ワシントンで講演し、新たな安全保障法制と4月末に予定される日米防衛協力指針(ガイドライン)再改定を見据え、米軍と自衛隊の協力範囲を地球規模に拡大させる考えを強調した。4月下旬の安倍晋三首相訪米の意義を「同盟の新次元への発展を内外に示す」とした。  安保法制の骨格を説明しつつ「安倍政権は日本の防衛体制を抜本的に再構成する。日本と世界の平和のために自衛隊が十分活躍できるよう法整備を進める」と明言。再改定後のガイドラインに関し「日米協力の可能性をグローバルに広げる」と述べた。

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特集ワイド:続報真相 戦意発揚スローガン「八紘一宇」国会発言 問題視されない怖さ

毎日新聞 2015年03月27日 東京夕刊 http://mainichi.jp/shimen/news/20150327dde012010022000c.html 宮崎市の平和台公園にある「八紘一宇」の文字が刻まれた塔=浦松丈二撮影 宮崎市の平和台公園にある「八紘一宇」の文字が刻まれた塔=浦松丈二撮影 拡大写真  16日の参院予算委員会で、自民党の三原じゅん子議員が戦争遂行のスローガンに使われた言葉「八紘一宇(はっこういちう)」を肯定的に紹介してから10日余り。大きな問題にはなっていないが、戦後70年を迎える折も折、「良識の府」参議院で飛び出した発言を忘れ去っていいのだろうか。  「ご紹介したいのは、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。初代神武天皇が即位の折に『八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さむ』とおっしゃったことに由来する言葉です」。三原氏は国際的な租税回避問題に関する質問の中で、この言葉を持ち出した。「現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている」というのが、その理由だった。  しかし、言うまでもなく「八紘一宇」は、日本を盟主とする世界統一の理想を表すものとして、戦意発揚に用いられた言葉だ。日本書紀の「掩八紘而為宇」という漢文から「八紘一宇」を造語したのは戦前の宗教家、田中智学(ちがく)とされる。  一方、三原氏が事前に参院予算委員全員に配布した説明資料には、八紘一宇について<日本は一番強くなって、そして天地の万物を生じた心に合一し、弱い民族のために働いてやらねばならぬぞと仰せられたのであろう>と記されている。出典は1938年に出版された清水芳太郎著「建国」という書物だ。  国会図書館に出向き、デジタル保存されている同書を閲覧した。すると、三原氏の配布資料に含まれていないページにも、気になる記述があった。日本書紀の「掩八紘而為宇」の直前にある「兼六合以開都」を、こう解釈しているのだ。<六合を兼ねて以(もっ)て都を開き=とあるのは、思うにその時は大和を平定したに過ぎず、まだ奥の方に国はあるけれども、それは平定していなかった。(中略)大和が皇化されるならば、更に進んで全世界を皇化せねばならぬと仰せられたのであろう>  「六合」とは天地と四方。田中智学は、この「兼六合以開都」からも「六合一都」(世界を一国に)を造語したとされる。戦前や戦中には「八紘一宇」とセットで用いられることも少なくなかった。  学問的な評価はさておき、三原氏が今回の質問にあたって依拠した書物ににじむ思想は、三原氏の言う「日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている」と言えるのか。首をかしげざるを得ない。  清水とはどんな人物だったのか。鹿児島大の平井一臣教授(政治史)が2000年に著した「『地域ファシズム』の歴史像」によると、1899年、和歌山県に生まれた。早稲田大卒業後の1928年から西日本新聞の前身の一つである九州日報の主筆。のちに健康食品などを開発、販売する清水理化学研究所を設立。同研究所を母体に国家改造運動団体「創生会」を結成し、農村救済などに取り組む。41年に飛行機事故で死亡するまでジャーナリスト、発明家、活動家と目まぐるしく職業を変えた生涯だった。  平井教授は「清水は主に九州北部で活動したため知名度は高くありませんが、『日本的ファシストの象徴』といわれた北一輝の流れをくむ国家主義者です。体系的思想よりも、時事問題を分かりやすく文章にまとめるのが得意だったようです」と語る。  清水が注目されたのは37年7月の日中全面戦争の勃発以降だ。同年内に2回も中国戦線を視察し、九州各地で大規模な報告会を開いた。清水が率いる創生会はその後、日独同志会結成や排英運動でめざましい活動を続け、軍部からも、その大衆動員力を注目されたという。「『建国』は日中全面戦争勃発の前後に書いた文章をまとめた本です。この時期から創生会は農村救済から軍部への協力に軸足を移し、運動を変質させていった」と平井教授。本の扉には「八紘一宇 陸軍中将 武藤一彦」と大書されている。  「満州出兵は日露戦争の権益を確保するためと説明できたが、権益を持たない中国全土を相手にした戦争は国益論では正当化できなくなった。このため軍部は、他民族に優越した日本民族を中心とした東亜新秩序の構築のためという虚構をつくり上げた。八紘一宇は、その虚構を支えるスローガンだった」。平井教授はそう指摘し、三原氏の発言については「今の時代に、国会で『八紘一宇』や清水芳太郎の名前が出るとは思わなかった」と驚きを隠さない  三原氏は毎日新聞の取材に文書で回答を寄せた。数多くの文献の中から「建国」を選んだ理由については、同書の一節に<現在までの国際秩序は弱肉強食である><強い国が弱い国を搾取する>などの表現があり「現在のグローバル資本主義が弱い国に対して行っているふるまいそのままだと思い引用した」と説明。「時代状況を踏まえぬ言葉の解釈だ」との批判に対しては「八紘一宇の元々の精神は、少なくとも千数百年もの間、『我が国が大切にしてきた価値観』だったわけで、戦前はその精神から外れて残念な使われ方がされたものであり、だからこそ元に戻ろうということ」としている。
 ◇象徴の塔が物語る侵略の歴史
 「今でも宮崎県に行くと、八紘一宇の塔が建っております」。租税回避問題に絡んで「八紘一宇」を持ち出した三原氏に対し、麻生太郎財務相はこう応じた。神武天皇即位からとされる「紀元2600年」を祝って1940年に建てられた高さ37メートルの塔は、今も宮崎市平和台公園にそびえる。記者は宮崎に飛んだ。  満開の山桜。春らんまんの公園には家族連れのほか、シンガポールや台湾のツアー客が訪れ、塔に続く階段で記念撮影を楽しんでいた。  県職員立ち会いの下で塔内部に入った。正面には秩父宮(昭和天皇の弟宮)の真筆「八紘一宇」が納められていた「奉安庫」。周囲には軍用機や戦艦が描かれた「大東亜の図」や移民船が描かれた「南米大陸の図」、神話の「天孫降臨」「紀元元年」など8枚の石こうのレリーフがかかる。  また、塔の基礎には世界各地の石が使われている。中国本土、台湾、朝鮮半島、シンガポール、フィリピン、パラオ、ペルーなど世界中の派遣部隊や日本人会から送られたものだ。「多田部隊 萬里長城」と刻まれた石もあった。送り主が刻まれている石だけで1789個あるという。毎日新聞の前身の一つ「東京日日新聞」と刻まれた石もあった。冷たい石肌をなでながら戦意高揚に協力した戦前の新聞業界の責任を思う。宮崎県が71年、塔の前に設置した石碑には<友好諸国から寄せられた切石>とあり、<(塔には)「八紘一宇」の文字が永遠の平和を祈念して刻みこまれている>とも記されていた。  歴代内閣は八紘一宇に否定的な見解を示してきた。中曽根康弘首相は83年1月の参院本会議で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った。それが失敗のもとであった」と述べている。  実は、塔の正面の「八紘一宇」と刻まれた石板は戦後の一時期、外されていた。連合国軍総司令部(GHQ)が45年12月に「八紘一宇」を公文書で使用することを禁じた。県内の財界人らが動いて「八紘一宇」の文字が復活したのは65年だ。  この塔の話は65年のNHK連続テレビ小説「たまゆら」にも出てくる。文豪・川端康成が初めてテレビのために原作を書き下ろしたドラマだ。川端が訪れた時、まだ石板は外された状態だった。原作にこんな一節がある。<見る人によっては、それが立った時の誇りを思ひ起し、塔の名のもぎ取られた時のかなしみを思ひ出し、また、ただ奇妙な形の塔とだけ眺めるのもよいのではあるまいか。すべて、古跡とか記念の建物とかは、見る人のこころごころであらう>  「川端先生は当時の県民感情を的確に書いてくれた」。当時、川端を案内した渡辺綱纜(つなとも)・宮崎県芸術文化協会会長はそう話す。  「この塔は戦時中に国民を戦争に一致団結させるための精神的な支柱だった。宮崎県には、その史実を正しく伝える碑などを建立するよう求めています。三原さんの発言を聞くと、再び国民を戦争に駆り立てる支柱としてこの塔が利用されるのではないかとの懸念を拭えません」。91年から塔の史実を研究している市民団体「『八紘一宇』の塔を考える会」の税田啓一郎会長は表情を曇らせる。  公園を管理する宮崎県都市計画課の担当者は、現在の碑文について「さまざまな意見があろうかと思いますが、現状のまま大切に保存してまいりたい」と語るのみだ。  世界各地から石を集めて築かれた巨大な「八紘一宇」の塔。それは、アジア諸国を踏みにじり日本を破滅に導いた戦争を象徴するモニュメントだ。三原氏の発言と共に胸に刻みたい。【浦松丈二】

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古賀茂明氏 ラスト出演した報ステで再び「I am not ABE」
2015年3月28日 日刊ゲンダイ
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/158426
降板の経緯にも言及した古賀氏(C)日刊ゲンダイ 降板の経緯にも言及した古賀氏(C)日刊ゲンダイ 拡大する  元経産官僚の古賀茂明氏(59)が27日、コメンテーターとして最後の出演となった「報道ステーション」(テレビ朝日系)の番組中、「I am not ABE」と書かれた手製の紙を掲げた。また、番組降板の経緯をめぐって、司会の古舘伊知郎キャスター(60)と議論する一幕もあった。
 中東情勢の解説を求められた古賀氏は、「ちょっとその話をする前に」と前置きし、自身の降板についてテレビ朝日会長や古舘が所属する「古舘プロジェクト」会長の意向があったと説明。古舘は顔をこわばらせ、「ちょっと待ってください。今の話は承服できません」「古賀さんには、機会があればまた出ていただきたいと相変わらず思っている」などと反論した。
 以前、同番組で「I am not ABE」と発言した古賀氏は、官邸などから多くの批判を受けたとしながら、あらためてこの日も「I am not ABE」と書かれた手製の紙を掲げ、「単なる安倍批判ではなく、日本人がどういう生き方をしようかという、ひとつの考え方」と説明した。
 また、ガンジーの言葉を示し、「言いたいことはそのまま言いましょう。裏で圧力をかけたり、陰で言うのは辞めていただきたい」などと話した。

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Astronomy Picture of the Day


Discover the cosmos! 2015 March 27 See Explanation.  Clicking on the picture will download
 the highest resolution version available. NGC 2403 in Camelopardalis (キリン座のNGC2403)

Image Credit & Copyright: Martin Pugh

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妻純子の状況:

状況に変化なし。

・・・・・本日は、これまで・・・・・

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