2011年5月14日土曜日

見逃されている原発事故の本質 東電は「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのか?わずか数時間で「通報基準」の7倍!100倍を超えた作業員も! 「封印された内部被曝」福島第一原発衝撃の実態

@hosinoojisan
 
見逃されている原発事故の本質
東電は「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのか?(日経ビジネス

わずか数時間で「通報基準」の7倍!
100倍を超えた作業員も!
「封印された内部被曝」福島第一原発衝撃の実態(現代ビジネス

 今日は、考えさせられる記事にであった。
 それは、日経ビジネスと現代ビジネスに記載された記事である。
 私の理解を深める意味で、記録し、本日のブログを終了する。


見逃されている原発事故の本質

東電は「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのか
日経ビジネス 2011年5月14日(土)
山口 栄一  【プロフィール
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110510/219895/?top_updt&rt=nocnt
 福島第1原子力発電所(原発)事故の被害者に対する賠償問題で、5月10日、政府は「事前に上限を設けずに賠償を実施すること」など、支援の前提となる6項目の確認事項を東京電力(東電)に提示し、11日、東電はその受け入れを正式に表明した。これにより賠償の枠組みが決着し、東電は国家管理のもとで再建に動き出した。この確認事項は、電気料金の値上げを最小限に抑えつつ、被害者への賠償責任を東電が貫徹することを前提としている点において、一定の評価を与え得る。
 しかし今後、この議論を広く進めるに当たって、課題が2つある。1つは「今後も電力事業を地域独占のままに保っていいのか」という課題。もう1つは「この原発事故の原因の本質は何か」という課題だ。
 第1の課題について、私は前回前々回において「日本の電力事業は競争環境を持つべきだ」という議論を喚起した。しかし、国はそれとは逆行するように地域独占を守る方針を固めつつある。実際、経済産業省は中部電力と東電の境目に、60Hzと50Hzの周波数変換所を大幅に増加する方針を出した。これは、今後も日本を60Hz、50Hz混在のままにすることを意味するだけでなく、地域独占を堅持することをも意味する。なぜ、こうもこの国の電力事業はイノベーションに対して後ろ向きなのか、今後もこの課題解決の方向を我々は議論し続けていかねばならない。
 一方、第2の課題はもっと緊急性が高い。というのはジャーナリズムも政府も、津波と同時に非常用電源が失われ、その結果、当初から原子炉は「制御不能」になってしまったという「勘違い」で議論が進んでいるからだ。しかし実は、事故原因の本質について、ジャーナリズムも政府も見逃している、ある真実がそこにある。それは、「最後の砦」の存在にほかならない。
 実はこの「最後の砦」は、1号機では約8時間、3号機では約32時間、2号機では約63時間稼働して、その間、原子炉は「制御可能」な状態にあった。従って原子炉が「制御不能」の事態に陥る前に、海水注入で熱暴走を止める意思決定をする余裕が、少なくとも8時間もあったのだ。しかし、東電の経営陣はその意思決定を怠った。そして1号機が「制御可能」から「制御不能」の事態に陥ってから20時間後に、ようやく海水注入の意思決定が行なわれるに至った。
「最後の砦」とは何か?
 ここで「最後の砦」とは何か。これを図1で説明しよう。
 崩壊熱で発熱をし続ける核燃料は常に冷やし続けなければならず、その冷却は、圧力容器(RPV、Reactor Pressure Vessel)の上部から主蒸気ラインを経てタービンに至り、復水器と給水ポンプを経て圧力容器に戻される循環システムによって行われる。

福島第1原発 1号機の圧力容器と配管構造。2-3号機では、隔離時復水器 (IC) の代わりに隔離時冷却系(RCIC)が装着されている。いずれも電源なしで作動する。
 
 しかし、給水ポンプが壊れるなどして炉心の温度が上がり始めたら、高圧注水系(HPCI、High Pressure Coolant Injection System)のHPCIポンプが動いて復水貯蔵タンク中の水を炉心に引き込むとともに、炉心スプレー系(CS、Core Spray System)のCSポンプが動いて燃料棒の上から水をスプレーし、炉心を冷やす。さらには主蒸気ラインに据え付けられた自動減圧弁(ADS、Automatic Depressurization System)が開いて、圧力容器内の蒸気を格納容器(PCV、Pressure Containment Vessel)内に逃がす。これらHPCI、CS、ADSなどを総称して「非常用炉心冷却系」(ECCS、Emergency Core Cooling System)と呼ぶ
 だが、万が一停電してCSポンプもHPCIポンプも止まってしまい、ECCSが働かなかったらどうするのか。1号機の場合、その「最後の砦」が「隔離時復水器」(IC、Isolation Condenser)だ。このICは、電力を必要としないパッシブな自然冷却システムであって、無電源で8時間作動するように設計されている。
 2、3号機では、この隔離時復水器(IC)の進化した「原子炉隔離時冷却系」(RCIC、Reactor Core Isolation Cooling System)と呼ばれるシステムが「最後の砦」として設置されている。これは、すべての電源が喪失した後も、炉心の発熱による蒸気で回る専用タービンによって一定時間、ポンプを駆動するシステムであってICよりも長時間作動する。
 以上から分かるように、隔離時復水器(IC)ないし原子炉隔離時冷却系(RCIC)が作動しても、相変わらず放射性物質は格納容器にとどまり、外界には出てこない。しかし、原子炉が「制御不能」の事態に陥り、格納容器の圧力がついに暴走し始めて設計耐圧を超えたらどうするか。このときは、圧力抑制室(SC)のところに備えられたベントと呼ばれる弁を、手動で開ける。もっとも、ベントを開けたとしても、原子炉の発熱を抑制することはできず、核燃料の崩壊熱を上回る熱容量を持つ水を注入しない限り、熱暴走を止めることはできない
 
1号機では、「最後の砦」は何時間動いたのか?
 では、今回の原発事故では「最後の砦」はどのように作動したのだろうか。政府発表の公開情報を読み解くことで、それを推測してみよう。
 3月15日4月12日の首相官邸の資料および4月4日の原子力安全・保安院の公表データに基づいて、原子炉の水位と格納容器内の圧力の経時変化を求め直したのが、図2だ。まず1号機の隔離時復水器(IC)は何時間作動したのかを推測してみよう。

福島第1原発1-3号機における格納容器の圧力と原子炉の水位の経時変化(3月11日0時00分から3月15日0時00分まで)。格納容器の設計耐圧は、1号機の場合4.2気圧、2-3号機の場合3.8気圧。また、原子炉の水位は、0m以下になると炉心が水面の上に露出していることを意味する。青い領域は、隔離時復水器(1号機)ないし隔離時冷却系(2-3号機)が働いていたと推測される時間域。
 
 3月11日16時36分に津波が到来し、非常用炉心冷却系(ECCS)が止まった。だが、その後は隔離時復水器(IC)が働いて炉心を冷やし続けた。翌日の0時00分にはこの隔離時復水器が作動していることが確認されたものの、その30分後には格納容器の圧力が上がり始めているので、0時00分から0時30分のあいだに隔離時復水器(IC)が作動を終えたと考えられる。1号機の隔離時復水器(IC)は、16時36分から翌日の0時00分-0時30分の間まで約8時間、ほぼ設計通り作動して炉心を冷やし続けたということだ(図2(a)の青い時間領域)。
 ところが、隔離時復水器(IC)の作動が止まってしまえば、もはや炉心を冷やす手立てはなく「制御不能」の次元に陥る。かくて燃料の発熱による水の気化によって12日7時ころから原子炉の水位が下がり始め、8時36分には炉心の露出が始まった。
 週刊誌「アエラ」5月2日号の記事「遅すぎたベント 少なすぎた注水」によれば、「12日7時55分に3トン、8時15分に4トン、8時30分に5トン、9時15分に6トンの淡水が注入された」とある。さらに「内部資料によれば、1号機への注入はベントより前、12日朝から行われ、ベントをはさんだ14時53分までに計80トンを注水した。『水が少なすぎますね。私が計算したところ、1号機には毎時25トンの水を入れないとバランスが取れないのに、実際は毎時10トン。ベントしなかったために、圧力が高くて、水が入っていなかったのでしょう』(宮崎慶次・大阪大学名誉教授)」とある。
 結局のところ、原子炉に海水が注入され始めたのは、同日20時20分。「最後の砦」の隔離時復水器(IC)がほぼ設計通り作動を終えて、事態が「制御不能」の次元に入ってから20時間後のことであった。以下に、まとめておこう。
1、
3月11日16時36分に非常用炉心冷却系(ECCS)が止まってから8時間は、1号機は隔離時復水器(IC)が作動して「制御可能」の状態にあった。元来、隔離時復水器(IC)は、最長8時間作動するように設計されていた。

2、
そして隔離時復水器(IC)停止後に、この1号機は「制御不能」の事態に陥ってしまい熱暴走が起きることを、現場の技術者は知っていた。

3、
ならば、この「執行猶予」の時間内に冷却機能の復活を試みることと並行して、原子炉崩壊熱を上回る熱容量をもつ注水(毎時25トン)の準備をしておかねば、この熱暴走を止める手立てはなかった。結局「執行猶予」の時間内には冷却機能の復活はなかったので、隔離時復水器(IC)の停止と同時に、毎時25トンの注水をしていれば1号機を「制御可能」の状態にとどめて置くことは可能だった。

4、
ところが、実際には即座の注水は行なわれることなく、隔離時復水器停止の約8時間後に炉心の露出が始まった。炉心の露出が始まる直前に淡水注入が行なわれたものの、その量は毎時10トンで功を奏さず。ようやく海水注入が行なわれたのは、1号機が「制御不能」の事態に陥って約20時間後のことだった。

2、3号機では、「最後の砦」は何時間動いたのか?
 次に、3号機の原子炉隔離時冷却系(RCIC)は何時間作動したのかを推測してみよう。
 3号機の場合も、非常用炉心冷却系(ECCS)は、津波の到来による非常用電源の停止と同時に停止したと推測される。すなわち、3月11日16時36分。その後、12日19時以降13日13時まで原子炉の水位データが欠落しているものの、「13日4時15分 有効燃料棒頂部まで水が減少」という官邸情報を用いると、図2(c)の破線で示したように、3号機の原子炉隔離時冷却系(RCIC)は12日の23時から24時の間に停止したと考えられる。従って、この3号機の「最後の砦」は、約32時間動作して炉心を冷やし続けたということになる(図2(c)の青い時間領域)。
 ところが、海水注入が行なわれたのは、13日13時12分。3号機が「制御不能」の事態に陥って約14時間後のことだ。1号機と同様、意思決定に異常なほどの遅れが認められる。この異常な遅れのゆえ、海水注入によっても原子炉の水位を上げることは全くできず、炉心溶融は深刻であったと推測される。
 2号機については、図2(b)に示すように水位データと圧力データが明瞭なので、原子炉内で何が起きたかは容易に推測できる。2号機の原子炉隔離時冷却系(RCIC)が停止したのは、原子炉の水位が下がり始める直前の14日8時ころ。2号機の「最後の砦」は、11日16時36分に作動を開始して約63時間動いたことになる(図2(b)の青い時間領域)。そして海水注入を始めたのが、14日16時34分。2号機が「制御不能」の事態に陥って約8時間半後のことだった。
事故原因の本質は何か?
 以上、論証してきたように「『最後の砦』としての隔離時復水器(IC)ないし原子炉隔離時冷却系(RCIC)が停止すれば、それから事態は『制御不能』の事態に陥る。よって停止と同時に、間髪を置かずに海水を注入する以外に暴走を止めることができない」ということが、前もって100%予見可能だった。
 現場の技術者はプロフェッショナルなので、全員が以上のように予見したに違いない。しかし、海水を注入することは、取りも直さず原子炉を廃炉にすることを意味する。従ってその意思決定は勝俣恒久会長や清水正孝社長をはじめとする経営陣にしかできない。
 4月13日に清水社長は「福島第1原発事故発生後のベント(排気)と海水注入の実施について自分が判断した」と明らかにしたという。しかし1号機の場合、「制御不能」の事態に陥って20時間後に海水注入は行なわれているから、東電の経営陣は、むしろ1号機について20時間もの間、海水注入を拒んだということができる。すなわち東電の経営陣は、技術が「制御不能」になるとはどういうことなのかを、20時間かけてようやく理解したということだろう。
 それは「現代技術は、常に科学パラダイムに基づいていて、その科学パラダイムが提示する『物理限界』を超えることはできない」という命題への本質的な理解の欠如だった。科学パラダイムに依拠する技術は、不可避的に「物理限界」を有しており、その「物理限界」が、その技術の「制御可能」の状態と「制御不能」の状態との境界を特徴づける。そしてその境界を超えると、列車は転覆し(注)、原子炉は熱暴走するのだ。
(注)2005年4月25日にJR西日本が起こし、107人が死亡した福知山線転覆事故の本質も、「1996年12月に線路曲線を半径600mから304mに変更した際、転覆限界速度が直前の制限速度よりも小さくなってしまう」という科学的真理を経営陣が看過してしまったことに因る。本事故との類似性については、拙著(日経エレクトロニクス 2011年5月16日号)を参照のこと。
 だから、この事故が「初動のミス」つまり「ベントが遅すぎたり注水が少なすぎたりしたから起きた」と単純に理解してしまっては、本質を見誤る。そうではなくて、物理限界を特徴づける境界の位置と特徴、そして構造を、東電の経営陣は理解できなかったから、この事故は起きたのだ
 すなわち、この原発事故の本質的原因は、「技術」にあるのではなく「技術経営」にある。よって、元来「制御可能」だった事故をみずからの判断ミスで「制御不能」にしてしまった東電の経営責任は、計り知れないほど大きいと言えるのではないだろうか。日本の独占企業が、「インテリジェンス」を持たない経営陣を選び取ってしまうこと。それは、もはや「日本の病」に通ずる。読者の方々には、この「事実」に関するご意見をぜひともうかがいたい。と同時に、東電はこれからどうすればいいのか、国民の問題として考えたい。(完)
 
 

わずか数時間で「通報基準」の7倍!100倍を超えた作業員も!「封印された内部被曝」福島第一原発衝撃の実態

2011年05月13日(金) 現代ビジネス FRIDAY
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/4496
経済の死角
震災当日、福島第一原発4号機で作業していた落合一範さん。体内の放射線量はなんと作業前の19倍である[PHOTO]福山将司
 政府、東電はこの事実を知っているのか!
「ここを見てください。上段のAというのが作業後、下段のBが作業前の数字です。通常ならABともほぼ同数。3ケタに収まるはずのものが何倍にもなっている。もう20年近く原発で働いていますが、こんな数字、見たことないです」
 震災発生時、福島第一原発4号機にいた落合一範さん(40・仮名、以下同)。彼が指差した先には、5368という数字が書かれていた(写真上)。
「これはホールボディカウンター *1(以下、WBC)という機器で測った体内の放射線量です。単位はcpm(カウント)で、1分間で5368回、放射線が照射されている、という意味です。738cpmを超えると周辺自治体に通報され、1500cpmを超えると『精密検査を受けてきてくれ』と言われ、病院行きになります。その基準をはるかに超えているんです
「通報基準」の7倍---記憶を手繰り寄せるうち、落合さんはもっと恐ろしい事実に気づかされた。
被曝したのは間違いなく3・11---震災の日でしょう。当日、私は同僚と4号機の定検(定期検査)をしていました。ドライウェル(原子炉格納容器)の厚みや傷みを測るUT検査、ダクトなどの溶接部分のチェックが主な仕事です。定期点検のために運転を停止していた4号機での作業なので、汚染の可能性は低い。だから、我々は『B服』と呼ばれる軽めの装備で作業をしていました。ブルーの作業着にヘルメット、手袋、安全靴。マスクはしません。ちなみにA服は通常の作業着。C服はタイベック(簡易防護服)に防毒マスク、靴下を2枚重ねてはきます」
 そんな最中、巨大地震が発生する。通常は手足、髪など体の表面の放射線量を測定しないと原子炉建屋の外に出られないが、測定機器は故障。作業員たちは我先にと敷地内のバス停まで走った。
*1 人体内の放射性物質から出されるガンマ線の量を外側から調べる大型の計測装置。イスに座って計測するタイプとMRIのように横たわって計測するタイプがある。自然放射線の影響をなるべく受けないよう、鉛や鉄で覆われた室内で使用される
「B服はマスクをしないので、内部被曝したのだとしたら、この時でしょう。ただ、点呼を受けた後、私はすぐ避難しました。それ以後、福島第一原発には立ち入ってません。時間にして数時間の滞在です。最初の地震で格納容器が壊れ、大量の放射能漏れが起きていたとしか考えられません。確かに、1号機の建屋にはあの時、穴があいていましたから・・・」
震災翌日の3月12日、高温の燃料棒と水が反応してできた水素が爆発。1号機の建屋上部が吹き飛んだ[PHOTO]東京電力提供
 落合さんが語気を強める。
「実はWBCでの検査を受けたのは4月6日。震災から約1ヵ月も後なんです。まさか内部被曝しているなんて思ってなかったから、気にもしてなかった。その後の福島第一の惨状を見て『もう原発では働けないな』と思って、『解除』(原発での作業員登録の解除)することにしたんです。解除するには、WBCで作業後の体内放射線量を測定しなければならない。その過程で内部被曝が発覚したというわけです。
 WBCでは、体内に取り込まれた放射性物質が何なのかまでは分かりません。例えば、原発周辺で大量に検出されているヨウ素131なら半減期は8日。すでに数値は半分以下になっているはずです。ならば、被曝直後はいったい何cpmだったのか・・・」
 彼が記者に差し出した書類を見ると、責任者名のところに「柏崎刈羽」という文字が書かれていた。
壊れた福島第一原発事務本館。IDカードや財布など貴重品を原発内に置いたままにしている作業員も多い[PHOTO]東京電力提供
「福島第一原発に3台ほどあったWBCは震災で壊れてしまったんです。だから、原発作業員を辞めようと思ったら、WBCがある新潟(柏崎刈羽原発)に行って、測ってもらわなきゃいけない。書類にあるように一緒に受けた8人中7人が基準値オーバーしています。中でも私の数字が突出して高い。地震直後に被曝したと思っていますが、もしかしたら、私が原発の20〜30km圏内に位置する南相馬市内に避難していたからかもしれません。累積被曝した可能性がある。なぜなら、福島県外に逃げた同僚は約1700cpmだったからです
 そして同じ日に、福島第一原発構内で仕事をしていた作業員もまた、落合さんと同じ不安を口にするのだった。
自宅待機となった作業員
 櫻木潤さん(30)は福島第一原発で働き出して3年目の若手作業員。被災場所は1号機の原子炉建屋内だった。
「機材搬入口の大きなシャッターが波打ち、天井からボルトがバラバラと落ちてきた。『こりゃまずい』と思った瞬間に今度は照明が落ちました。粉塵であたりが真っ白になる中、手で口を押さえながら、なんとか表に出ると、地面が隆起し、割けていた。走ると危ないので、早足で旧事務本館と呼ばれる詰め所に向かいました」
原子炉や使用済み核燃料プールの安定冷却に不可欠な外部電源を建屋に引き込むべく、奮闘する作業員たち[PHOTO]東京電力提供
 落合さん同様、点呼が終わると櫻木さんも帰宅するよう命じられた。ドーンという津波の衝撃を感じたのは、自宅へ向かう車の中で、だった。
「あの壊れ方を見る限り、1号機の原子炉が無傷とは考えにくい」
 東電は想定外の津波により電源が途絶え、そのために震災翌日の1号機の水素爆発が起きたと説明してきた。が、地震直後にすでに、1号機の原子炉は損傷を受けていたのではないかと、二人の作業員は話すのである。衝撃の証言は続く。
「私は3月11日を最後に福島第一原発には行っていませんが、現在も働き続けている同僚が、信じられないことを言っていました。震災後、2週間ほど浪江町(福島県双葉郡、原発から10km圏内)に避難していたある作業員が、仕事を再開すべく、東海村(茨城県那珂郡)に移った。そこで作業前の検査としてWBC検査を受けたところ、基準値の実に100倍以上となる、8万cpmというとんでもない数字が出たというんです」
 大量の内部被曝が発覚したその作業員は、自宅待機を命じられたという。
3日で基準値の50倍
 文字通りのケタ違いの数字をすぐには受け入れられずにいた本誌に、さらにこんな話が寄せられた。南相馬市在住の田中大さん(30)が証言する。
「知人が事故後の福島原発で働いていたのですが、やはり数万単位の内部被曝をしていました。3月半ばから3日間、5号機付近で電源の復旧工事をしたんです。暴走していた1〜3号機から少し離れているし、5〜6号機は点検のため震災時は停止していた。まさか内部被曝しているなんて思わず、会社に言われるまま、柏崎刈羽原発まで行ってWBCを受けたら『4万cpm出た』と言うんです。
 知人は『経過を見ましょうと言われただけで、何の説明も治療もなかった』と怯えていました。甲状腺にヨウ素が貯まらないようにするヨウ素剤を渡されたそうですが、これ、作業前に飲まないと意味ないですよね?」(田中さん)
 矢ヶ﨑克馬・琉球大学名誉教授が警鐘を鳴らす。
「これだけのデータでは何とも言えないが、仮に測定効率が1%でバックグラウンド(自然放射線)が差し引かれているとすると、8万cpmは極めて多量。相当量の被曝をしていると思います。WBCは人体を通過するガンマ線しか測定できない。アルファ線やベータ線を発する放射性物質が体内にあっても、カウントできないので、核種(原子核の種類)によって違いますが、測定値の3倍から5倍は被曝していると考えるべきです。1秒間に1300ベクレル被曝する計算となり、嘔吐などの急性症状が出てくる人もいるでしょう。
解除(原発で作業するための登録解除)用の申請書。4名とも体内の放射線量が作業前の7〜19倍に
 すぐ医者に診てもらって、措置すべきです。後年、影響が出て来る可能性がある。おそらく、呼吸の際に放射性物質を吸い込んでしまったのでしょう。ガス防護マスクを装着させないで、危険区域で作業をさせたのではないか。労働者の安全を軽視する東電の責任は非常に重い。雇い主は将来にわたって健康管理をしなければなりません
 元放射線医学総合研究所主任研究官で医学博士の崎山比早子(ひさこ)氏が続ける。
「内部被曝をした場合、有効な対処法はないのが実情です。早い時期にカリウムを摂取すると、セシウムの排出が増えたという動物実験の結果はありますが、人間では効果がみられなかったと報告されています。尿や便の検査を4日間ほどすれば、ヨウ素やセシウムなどの割合はある程度、推定できます。これだけ高い値が出た場合は、当然、尿検査や便の検査などをするべきです」
 注目すべきは、前述したように震災によって福島第一原発のWBCが壊れた影響で、内部被曝した3名とも柏崎や東海村でWBC検査を受けていることだ。すなわちそれは、現在も最前線にいる作業員たちの内部被曝値を、誰も把握していないことを意味する。東京電力総務部広報センターはこう回答した。
数万cpmという数字が出たことは事実です。今後、健康診断や治療を実施する予定です。これまで、男性は3ヵ月に一度、女性は1ヵ月に一度、WBCによる検査を行っておりましたが、(原発の事故により)作業員の数が急増し、整理できていないというのが正直なところです。また、福島第一原発には4台のWBCがございますが、壊れているのではなく、放射線が高いところに設置されている関係上、正確な数値が計測できなくなっています。今後は外部被曝を含め、管理に努めます」
作業を終え、休む作業員たち。食事はレトルトが中心でフロにも入れない。防護服のまま寝る過酷な環境だ[PHOTO]愛媛大学・谷川武教授提供
 落合さんが憤る。
「原発の20km圏内で行方不明者の捜索が始まったのは震災の1ヵ月後でした。警察も自衛隊も寄り付かなかったのは、東電から放射能汚染が酷いと聞いていたからではないのか。内部被曝の調査も発表もしないのは、補償の範囲が広がるのを怖れているから、としか思えない。すぐに、現場作業員と原発周辺に住み続けている人々をWBC測定にかけるべきです。4月22日から20km圏内は立ち入り禁止となりましたが、20〜30kmの計画的避難区域には、どんどん人が戻ってきている。
 水は出る、電気も来ている、家もある。店もどんどん、再オープンし始めています。放射能は目に見えないから、一見、復興しているように見えるんです。だからこそ、目に見える数字で危険性を知らせなければならないと思います。これ以上、人災を拡大させないでください」
 もはや、一刻の猶予も許されない。
 大企業でありがちな実態である。
 このような、非人間的体質は、社会的に糾弾すべきと言っておこう。
 
・・・・本日は、これまで・・・・

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